ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

元号は「イメージ」を残すのに必要

2019.04.01 Monday 15:22
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    JUGEMテーマ:ニュース

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    会社近く、行き着けの食堂で新元号を知る。

    ついでに祝杯をあげようとも思ったが、先月の花見で酒に弱くなったことを実感したので控えることに。

    あるいは術後、日をおかずに酒を飲んだのがよくなかったのか。

     

    いずれにしても、良い元号だ。

    個人的には、古今和歌集から出るのかと思ったが、万葉集とは大変素晴らしい選択。

    アマゾンや書店も、当面の間、万葉集コーナーで潤うだろう(ぇ。

     

     

     

    反皇室というか、「天皇がキリスト教に改宗しないのであれば、天皇を潰すまでだ!」と喚いてた人間が教授をしていた大学に通っていたもので、軽い洗脳を受けてた所為か(何度も言うが、国際基督教大学は皇族が通ってはならないところだ。まあ、御卒業されたけど)、当時はあまり意識はしていなかったが、ある理由で元号はやはり必要だな...と痛感するようになった。

     

    それは「イメージ」。

     

    アメリカでは「狂騒の20年代」「狂乱の60年代」などという表し方があるが、社会史や文化史は10年区切りでは説明しつくせないところがある。

    また、年代では味気ないものがある。

     

    たとえば「昭和初期」と言えば、一気に「イメージ」が湧く。

    古い映像や写真での「イメージ」、祖父や祖母から聞かされた「イメージ」、脳内で再現された「イメージ」の上を行ったり来たりする人々の「イメージ」が一つのパッケージとして提供されるのが、元号の大いなる力だ。

    長い「昭和」を、どこで区切るかによっても、「イメージ」が大きく変わって楽しい。

    単に戦前戦中戦後と分けることでも「イメージ」が違ってくる。

    「昭和50年代」でパッケージ化されると、我輩の場合、小学校の帰り道、買い食いしたお菓子の味が脳内再生される。

    我がオタ母は「昭和30年代」について、月400時間勤務のOLとして働いていたことを自慢する。

    「平成」だと、我輩にとっては、ゲーム業界での日々そのものになる。

    その間には、大きな事件や災害があった。オウム事件、311、東日本大震災。

     

    今の会社で定年を迎える人間が佃煮にできるくらいいるが、そいつらの思考パターンのあまりの古さに「昭和」という「イメージ」をネガティブに投げることができる。

    逆に、懐かしいものに出会うと(秋葉原のラーメン屋がそうだなw)、「遺伝子に響く味」としての「昭和」をポジティブに賞賛する。

     

    「イメージ」が纏めやすくなる。

    良い意味でも、悪い意味でも。

    一国民として、時代時代の区分を思い出しやすくし、その時代の状況を再現することで困難に対処しやすくするのが、元号を通しての「イメージ」の共通化なのだ。

    元号を否定する理由は、どこにもない。

    「イメージ」は、経験と記憶のパッケージとして、継承しつづけなければならない。

    まあ、否定している連中を見ていると、「日本人死ね」の言動で判るけどな。

     

     

     

    さて、免許更新は来月にしよ。

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