ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

付き合うべき基準

2019.01.10 Thursday 15:02
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    100人いれば、それぞれに違う、友人知人がいる。

    共通しているのもあれば、まったく見知らぬ者もいる。

    同性異性問わず、なぜその人と友人なのか、知人の状態でいられるのか、基準はそれぞれに違ってくる。

    論理的なものではなく、単に気安いから...というのがあるだろう。

    話をしていて、時間が過ぎるのを忘れてしまう、それも基準だ。

    酒を一緒に飲むと、見ているだけで楽しいから友人というのもあるだろう。

    将来、もしかしたら仕事とかで「美味しい」のを得られる…それは友人とは言わないが、そういうのも多く見られる。

    財布が膨らむとか、人生において何かのメリットがありそうだから…会社とかでよく見かけるけどねえ。

     

    我輩の場合は、来るもの拒まずのスタンス。

     

    「相手があなたに対して好意を持って接してきた時、あなたはその10倍以上の好意でその人を友人としなさい」

    「相手があなたに対して敵意と侮辱の念を持って近づいてきた時、あなたはその100倍以上の敵意と侮辱を以って相手に返しなさい」

     

    タルムードでは、こんなことが書かれていたように記憶している。

    至極、真実。

    人生は、最初から敵意剥き出しの相手を理解し、友人にするほど長くはないし、そんなストレスを被って、損をする理由はどこにも存在しない。

    いやむしろ、人間として当然持つべき「想像力」を有しないで、牙を向けてくるのは、もう人間ではない、正確に言えば人間であることを放棄した輩でしかない。

    動物との大きな違いは、人間には「想像力」が備わっている。

    ここでの「想像力」は、何かのモノ作りとかそんなのではない。

    別の言葉に置き換えるなら、「予測」「常識」「相手の立場に身をおく」「恥を知る」「俯瞰的に」「客観的に」、つまり『こういうことをしたら将来こうなる』と論理的に考える能力だ。今、こういうことをしたら(あるいはしなかったら)、いずれこうなる…それを見通す能力だ。

     

    我輩の唯一の友達づきあいや知人としての交流の基準は、相手にこの「想像力」があるかどうかの一点だ。

    我輩に対する無礼非礼は別にどうも思わない。

    が、その言動が他者に対しても同じようにその人が行っているのであれば、その人とは直ちに絶交することにしている。話しかけれても、一切口もきかないくらいに徹底している。

    無礼な言動をそのまま流す我輩が、全員そうではないことくらい、「想像」できるはずが、それができない…ということは、いずれ、強烈な反撃をその人は受けることになる。そしてこれは全く共通していることだが、そういう事態になると、必ずそれを他人に責任転嫁し、自分の非を認めようとしない。

     

     

    【全面対決へ】文大統領「日本は謙虚な姿勢を見せるべき」「日本が政治問題化している」

     

     

    吉田松陰や福沢諭吉、夏目漱石、新渡戸稲造、徳川光圀、新井白石、本居宣長、徳川斉昭、伊藤博文、新渡戸稲三、本田宗一郎...

    多くの偉人達が述べてきたことは、「事実」に基づいている。

    日本海の向こうには、人間として当然持つべき「想像力」がまったく欠落している。

     

     

     

    我輩も言おう、もはや敵であるということ。

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