ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

「恋人はサンタクロース」だった時代

2017.12.24 Sunday 13:48
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    JR東日本、「私を新幹線でスキーに連れてって」

     

    高校生時代、世はバブル全盛期だった。

    マスゴミは消費を煽りまくり(フジテレビが一番酷かったような思い出がある)、都心は「建設予定地」という看板が立てられた空き地でボコボコ。

    怪しげな会社の株を押し売りしてきたり、どう見ても「原野商法」一歩手前の土地を脅迫するかのようにセールスしてきたりするのは当たり前。

    しかも、そういうのを相手にしないと、周囲から人間扱いされなかったそんな時代だった。

    映画「私をスキーに連れてって」の主題曲として、松任谷由実の「恋人はサンタクロース」の音符一つ一つによって、家族と暖かく楽しく過ごすクリスマスが破壊され、高価な贈り物とディナーを担保に一晩のセックスだけを求める当時の世相を完全に反映してた、日本人本来の特性、美徳が完全否定されたそんな時代だった。

     

    【話題】 若者の 「クリスマス離れ」

     

    クリスチャンではないのに、クリスマスを祝う…というのは、正直な話、日本には通用しない。

    あらゆる冠婚葬祭は、様々な宗教が関係しており、特定の信仰を持っているからといって、それに拘泥するということは日本において(カルト宗教の狂信者でもない限り)ありえない。

    去年のクリスマス、近所のお寺にある用事で行ったら、住居部に立派なクリスマスツリーがあり、住職のお孫さんとその友達たちがクリスマスプレゼントのレーザーガンで遊びあってた光景が何とも微笑ましかった。

    「自分の時間が欲しい」という理由はもっともなことである。

    家族とも没交渉になるという数十年の流れ、特別な消費ができない個人における苦しい経済状態にある。そもそも恋人を作るといらぬ「出費」が発生し、しかも「拘束」されるというリスクを負ってしまう。ただでさえ日々、仕事で自分の時間を長く「拘束」されているのに、これ以上プライベートを搾取されるいわれはない。

    「恋人はサンタクロース」だった時代、そこには人間と人間の尊厳ある交流は存在せず、大量消費と欲望をファッションでコーティングしたものを是とする風潮があった。

    それを目撃してた子供たちが、醒めた目で見つめ、それが今に至っただけの話だ。

     

     

     

    だから我輩は言いたい。

    もう一回、本来の「サンタクロース」はなんであるのか思いはせるべきではないか、と。

     

    一切の見返りを求めない、本当に気が許せる、一年を感謝一杯の愛する人たちへの贈り物は、本来の「愛」が何であるのかと気付かせるのが「サンタクロース」。

    経済的に窮していても、ほほえみと共に顔を見せ、「何も他にいらない。私はあなたのために生きています」と思うところに、「サンタクロース」はいる。

    街中でも、ちょっとしたことに礼を言う、ちょっとしたことに非礼を詫びる、ちょっとしたことに譲る、ちょっとしたことでほほ笑む、それらもすべて、クリスマスに限らない「サンタクロース」。

    身近な人の立場になり、考えるということ。日々、悪いことをせず、良いことだけをする。きちんと毎日を過ごすこと。それだけでも十分に、誰もが「サンタクロース」になれるし、あなた自身もまた、「サンタクロース」と出会えることができるのだ。

     

    「恋人」としての「サンタクロース」はもう存在しない。そもそもそれは、前述の理由の通り、「サンタクロース」でさえない。

    本来の「サンタクロース」は、日々、静かに、存在している。

    それに気づく日が、クリスマスだ。

     

     

     

    メリークリスマス!

     

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