この単調さを愛しく感じる
- 2017.10.01 Sunday
- 00:20
5年ぶりであろうか、昔、いろいろとご迷惑をかけたゲーム会社の社長とお会いした。
ゲームのノベルティに関する、昔、我輩が描いた原稿が出てきたのだが、返送しますか…ということであるが、挨拶をしたいと思い、受け取りに行くことにした。
会社を移転するということで、大掃除をしている最中に発見されたのであろう。
新宿でお土産を買い、久々にその会社のある街へ。
土曜日だから通用門から入る。
そうなんだな、この会社のあるゲームが大好きで仕方なかったっけ。
久々にお会いし、いろいろとお話し。
その中で、今のカタギな生活はどうなのだと訊かれ、ふと、考えてしまった。
朝の9時に出社し、人事のルーチン(「仕事」ではない、あくまでも「ルーチン」だ。我輩にとっての「仕事」は何もない所から何かを創り出すことであり、それ以外は「ルーチン」ワークでしかない)をこなし、午後6時きっかりに帰る。
残業代のない会社であるから、ダラダラと会社で過ごすような馬鹿はしない。
やりがいを感じる「ルーチン」なぞ存在しないし、そもそも出世して、会社のためにどうこうするという気持ちはさらさらない。
毎月、きちんと一人で暮らせ、貯金できる給与がもらえる。
健康保険で安心して心臓の治療を受けられる。
土日祝日は休む。
夏休みがあって、年末年始休むことができる。
なぜかメーデーも休められる、おかげでGWは長い。
有休も申請すれば理由なしで受理される。同業界において、消化率が一位であるというのも頷ける。
気付くと、一週間が終わる。
単調な日々。
このまま定年まで、この「ルーチン」は繰り返されることになるだろう。
ゲーム業界に戻るつもりはないし、戻るべき場所もない。
過去に数社から、来てくれないかというお誘いがあったりしたが、全部が全部、そのあまりの胡散臭さに断った。
頭数合わせ、あるいはただ、使い捨てという魂胆が見え見えだった。
心臓病のために、引退しなければならないということに、慟哭した。
あの業界で死ぬことが本望だったと、真剣に思った。
だが離れてから5年。
たとえ「ルーチン」であっても、今の会社から色んなことを「求められている」ことにわずかな慰めがあり、それが日々の繰り返しの中で積み重なっていくと、この単調な生活があまりにも愛しく感じられるようになった。
比較するのは馬鹿げてるが、テレビ映画「バンドオブブラザーズ」のウィンターズ中尉が、ノルマンディ作戦が成功した日の夜の独白が、切なさと共に、ああ、我輩は今この日々こそが、彼の神と自分自身に約束と同じことなのだろうかと、思ってしまう。
尤も歴史では、中尉は朝鮮戦争にも出征したが。
戻ることは、やはり無い。
そもそも真摯に求められるということはないし、我輩が求めたとしても、場所が存在するわけはない。
命は惜しくはないが、あの状況では犬死になってしまう。
戻ることに対して説得する相手がいないということであっても、だ。
結婚するわけでもない。代は我輩で潰える。
死んだらそのまま忘れられる将来を含めて、この静かで単調な日々が今の我輩の世界だ。
我輩がもし戻るとしたら、誰のためでもない、単に我輩が読みたい、遊びたい、楽しみたい、そんなコンテンツを創る時だ。
今ならunityでプログラマでなくてもゲーム作れちゃいますし。体に無理のない範囲で完成も3年後とかを見据えて好きなように作ればきっと楽しいですよ。
Andy氏の新作出たらやってみたいなー。