ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

血の臭い無き浄土

2017.08.25 Friday 18:01
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    JUGEMテーマ:東北の旅

     

    うかつだった。

    噂には聞いてたが、金色堂までの参道がこれほど急な坂だったとは。

    早朝の大雨で地面がややぬかるみ、買ったばかりの靴からややジメっとしてくる。

     

    それにしても、多くのお堂があって、一つ一つを巡りながら登るのが楽しい。

    弁慶に関係するお堂。

    眼病を癒すお堂は、参拝客で溢れてた。

    逆に閑散としてたお堂には、不思議な風格があり、自然と合掌をしたくなる。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    やっと見えてきた。

    金色堂。

    マルコポーロが勘違いした、黄金の国ジパングのシンボル。

    堂内は写真撮影一切禁止であるので、外観しか写真がない。

     

    空調が効いており、薄暗さとともに心地よい空気が流れている。

    中では僧侶が一名、汗をダラダラ垂らしながら勤行をしているが、気温設定が違うのだろうか…ああ、あの袈裟では、暑いわなw

     

    史実やら小説やらで、かなりゴタマゼな知識が行ったり来たりしている。

    奥州に独立した国家を作ろうとしたとか、いや単に京都以上に栄華ある都市を作ろうとしてたとか、財力をものを言わせて朝廷に対抗しようとしたとか、まあ色々あるだろう。

    義経が亡命した時、遺言通りに大将とし、鎌倉に対抗したのであれば、歴史は果たしてどうなってたのかという空想ロマンも悪いものではない…よく、「歴史にIFを求めるな」という言葉が聞かれるが、学術からすれば是であろう。しかし、ファンタジーを求める人に対して、これほどの暴言はないし、我輩個人、どんな人にあっても備わっている想像力、イマジネーションを否定する暴言であり、怒りしかわいてこない。

    これを悪用している人間は、人生を豊かにする力を否定するサイコパスだと考えている。最近、それについて、確信に変わった出来事があってな…まあ、それは別の話。

     

     

     

    それにしても、見事なまでの、黄金の光。

    浄土もかくや、か。

    奥州藤原滅亡後、頼朝は破壊することなく、統治もこの地の人々に委ねた。

    遠いから?

    それが一番の理由であろう。

     

    ただふと思ったのは、浄土を浄土のまま、そってしておきたかったのではないかと、そんな感じがする。

     

     

     

    長い歴史を持つ京都は、しかしながら歴史を知ると、あまりにも血なまぐさい場所であることがわかる。

    百数十年前まで、河原のあちらこちらに、暗殺された人の頭が放り置かれてたくらいだ。

    我輩自身、実は京都が日本の中で、嫌いな街だ。

    市営バスの運転手の糞っぷりはさることながら、どうにも歩くと、背筋に嫌な感触があり、落ち着いて歩けられるような感じがしない。

    ガイドブックにもない、小さな曲がり角に立っていると、ぞわぞわする何かを感じてしまうのが京都なのだ。

    住人の慇懃無礼さにも、観光を楽しませてくれない。

    あるのは、街全体が、何かに怯えてる空気…それが京都なのだ。

    その理解できない怯えを、客である我輩に押し付けてくるな。

    浄土に憧れる寺院を多数建てたところで、外に出れば霧散してしまい、しらけてしまう。

     

    新しい都としての鎌倉は、血だらけの手で築かれた場所だ。

    わずかなことでも、法の前に武が問われる。諸法度を発布したところで、離れれば力がすべての解決手段となる。

    どうあっても、地獄行き。

    天台宗において、そんな修羅から救い出す浄土の思想が示され始めたが、法然がまだ世にない時代、多くの上人に頼り、恐怖から逃れるしかなかった。

    鎌倉を新しい武士の中心地にした。

    しかし、そこは血によって築かれた所でしかなかった。

     

     

     

    「吾妻鏡」によると奥州藤原を滅ぼした後、この地域で頼朝がまず目撃したのが、灰燼に帰した平泉であった。

    中宮寺、毛越寺など仏閣を参拝し、残された奥州仏教に深く感銘したという。

    そして御家人に治安を一任する一方、国務については亡き藤原のままにと命じて、鎌倉へ帰ったという。

     

    やろうと思えば、すべてを焼き尽くすことはできた。

    義経への憎しみからすれば、庇った奥州藤原への報復を考えれば、それくらいたやすくできた。

    平泉は焼き払われて、その続きとしてなら、可能であった。

    だが、頼朝はしなかった。

     

     

     

    血の臭いが一切しない現世の浄土を、ここで初めて知ったからではないか…そう思えてならない。

     

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