最低最悪の鑑賞者
- 2013.10.28 Monday
- 21:12
JUGEMテーマ:旅行
足利へ毎年行く理由は、参拝だけではない。
市が運営する美術館…特別展をよく行っており、その内容はもしかしたら日本屈指のものではないか…そう思えてしまう。
とはいえ、借りるのに足利市の年間予算の10倍が必要な、そんなものではない。
地元に深く関係する作家…数年間、相田みつを翁の特別展が開かれてたが、そこで初めてこの不思議な書道家が足利で生まれ、足利で死んだことを恥ずかしながら知った。
鉛筆によるデッサンを追及する木下晋画伯の特別展は強烈だった…入って直ぐ、目に飛び込んだ数畳分の巨大な「祈りの塔」…その前で震えが止まらず足を動かすことができず、忘我の境地に暫し陥った。
そして今年も訪れた。
故石田徹也画伯。
画像検索をかければ、誰もが必ずは目にしたことのある、虚無と孤独溢れる画風。
ヒントを生み出すためのメモを故人は多数、大学ノートに書き遺していた。
それらをコピーしたものが、絵の隣に小さく貼られている。
まず絵を観る。
次にメモを読む。
再度、絵を観る。
館員はこのようにして、故人の意図するところを明確にしようとしたのだろう。
だが、これはあくまでも我輩だけの感想だが…故人はかなり”計算高い”俗物だったように思えて仕方がない…こんなことをしちゃあ。
正確な文面を忘れたが、あるメモの中に、「ぼくの絵を見て、人は不快に思ったり、恐怖を感じたり、笑ったり」することで、個人は「してやったり!」…というのがあった。
どうにも、故人が生前、発表してた絵を観ても、何か違和感を抱かずにいられなかった。
その理由が、これらのメモで、ようやく理解できた。
画伯の絵を観て、友人知人は気持ち悪いとか、おもしろいとか、そんな感想を述べていたが、我輩は最初からこの画家、
「狙っている」
と思えて仕方がなかった。
いや、画家ではないな…ネタを提供する、典型的な現代の商業ビジネスのデザイナーだな…そう思えば、心に全く響かない理由が判然とする。だが、その証拠を、当時得ることはできなかった。
それともアクリル画材で描かれているから、そう色眼鏡で思っているのか、確証はなかった。
晩年、油絵にも手を出しているが、ほとんどが未発表作。
それらが展示されていたが、やはり商業ビジネスのデザイナーであり、画家ではないという印象から離れることができなかった。
ずっと、石田徹也というのは、画家ではない、”計算高い”デザイナーではないかという蟠りを抱き続けていた。
確かに社会における孤独、没個性、疲労などをシニカルに描かれている。
だが、それらは既に、誰もが共通して感じていることだった。
絵に自分を投影して、笑うか、不気味に思うか、泣くか、忌避するか…それが故人にとって、予め想定された優れた鑑賞者だと故人のメモから伺い知ることができる。
だとすれば、我輩は、亡き石田徹也氏にとって、”最低最悪の鑑賞者”だということか。
2005年5月23日に、石田徹也氏は踏切事故で31歳の若さで亡くなった。
自殺であったという説が根強いが、未完となった最期の絵を観て、その説に同意することはできなかった。
若い男性がデスクの前で、何かをしようとしている。
背後に男性の記憶なのか、二人の人物の影が映っている。
血管を浮かべた両手で、デスクの上にある何かをつかもうとしている…が、そこにはまだ何も描かれていない。
うん?
やはり自殺か?
新しい”石田徹也”へと脱皮できないことを、この絵で描こうとしてたのか?
自殺することで、”完成”させたのかな?
我輩はどうも、”最低最悪の鑑賞者”であり続けるんだろうな、故人にとって。