それでも「暴力」はなくならないと思う

  • 2013.03.17 Sunday
  • 17:01
JUGEMテーマ:ニュース 

まずここで明確にしたいこと。
「体罰」と「暴力」は全く別ものであるということだ。

「体罰」の「罰」は、要するにペナルティを意味するもので、これを受ける者は、自己責任において悪意をもって(つまり、「わざと」)全体の秩序に反する行為行動言動を行ったことに対し行われるものである。
それ故に、我輩は一定の「体罰」はやむを得ないという考えである。

だが、桜宮高校でバスケ部キャプテンを自殺に追い込んだ小村基の如きに、「体罰」だと言わせる資格なぞ、露ほどもない。
この「殺された」キャプテンは、「罰」を受ける何かをしたという言動も証拠も一切残されていない。体力と精神の限界に追い込まれながらも、自分にとって最大最高の努力をした上での暴力は、「体罰」ではなく、ただの一方的な小村によるイジメである。

だが、体育会系には、その境界線を敷く脳みそは、これぽっちも有していない。


なぜか?
我輩は日本におけるいわゆる”体育会系”の姿に、同じ病巣が存在していると観察した。

指導側が求める理想像と現実の間におけるギャップの存在について、認めようとするキャパシティがない。
そのギャップを認め、ギャップが発生する原因を分析するという知的活動を、指導側が一切有していない。
そもそもそういう知的活動をする訓練をしたことがない。
そして、他者の気持ちに立つという訓練を一切行わず、勝てば良いということが第一義に置かれた段階で、日本の”体育会系”はサイコパスの集団と化した。

そしてこれが、ブラック企業の文化へと融合していった。
精神論にもなっていない精神論を毎朝絶叫するのは、単なる暴力だ。
努力をしても目標を達せられないことに、外界から見えないところで暴力をふるう行動は、正にこの構図だ。
経営が破たんする道を進んでも、その原因を一切認めず、分析も、改善することもできない。
ブラック企業はまさに体育会系と同じだ。
そして日本には、未だに体育会系の思想を是とする考えが跋扈している。

だから「暴力」はなくならないと思う。
その一方で、ブラック企業も体育会系のこの考えも、なくさない限り、日本は本当に立ち直れないとも思っている。
これらは有能な選手、優秀な社会人を破壊させるだけのことであり、日本経済、日本のスポーツを破滅させるだけのものだ。

是とする者は、日本人じゃないのでは?…そう、疑ってしまう。

だから我輩は昔から、今までも、そしてこれからも、こういう連中に対して逆に怒鳴り、椅子でしばきあげていきたいと思う。



それにしても…柔道連盟、一度、潰したほうがいいな…。
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