850キロ先の聖地

  • 2010.11.22 Monday
  • 21:33
イスラム教徒たちによる『メッカ巡礼』の様子を撮影した画像


サウジアラビア王国出張の時、泊まっていたホテルからタクシーを拾い、職場に向かう道の標識に

「メッカまで●●●キロ」

と掲げられていた。



このまま、車を走らせれば、メッカに入ることができる。
全世界10億人以上の信者たちの聖地。
かの聖地では、いかなる地位は無意味であり、
いかなる武器を持ち込むことも認められない。
ムスリム・ムスリマにとって、ハッジ(大巡礼)の時に、巡礼に赴くことが義務とされ、巡礼を果たした信者の罪が洗い清められる。
リヤドの市場には、巡礼用の縫い目のない生地が大量に売られていた。
白色無地のタオル地のようなものであったが、それはまるで、出産し、湯につかり、清潔なタオルに包まれた赤ん坊のような気にさせるものだった。
ハッジは、生後直後の罪無き状態に戻すことが目的とされ、ハッジを成し遂げた人は、今までの罪が許されたことをアッラーに感謝し、死ぬ日まで良きイスラム教徒として過ごすことに意味がある。
かつてのマルコムXは、このハッジを成し遂げた直後、正統イスラームに帰依したことは、映画などで良く知られている。

しかし、かの聖地に入る資格を、我輩は持ち合わせていない。
イスラームを受け入れた人でなければ入れない。
ましてや、どこをどうみても、生まれた時からムスリムじゃない我輩の様子を見れば、市に入った直後に、宗教警察に首根っこを捕まれるのが目に見えている。



だが、我輩は、すぐ近くにいた。
歴史の教科書でしか知らなかったメッカは、目と鼻の先にあった。
なんとも不思議な気持ちになった。
全世界から、毎日5回の礼拝が、あの地に向かって捧げられている。
そのような地のすぐ近くに、我輩が立っていたということに、なんとも言えない感動を覚えたものだ。

以前、日記にも書いたが、イスラームは宗教以上に、あの過酷な地において生きるための方法そのものの教えなのだ。
もし、これから死ぬまで、サウジアラビアで生活しろという状況になったら、我輩はかの地において、躊躇無く改宗してたに違いない。
それは強制とかではなく、あの地では、イスラームを信奉していなければ、生きていけないということである。
1日に5回礼拝しなければ、息抜きし、水で身体を冷やすタイミングを失う。
アルコールなんぞ飲んだら、脱水症状で死んでしまう…など。



でも、時代なんだねえ…。

たとえば、礼拝終盤で、小石を柱に投げつける儀式が、今では、壁に作られたミニチュア(?)版に対して…。
食事もなんか、ファーストフードっぽくなっているし…。
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