ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

これが「証」というものなのかと

2010.12.27 Monday 23:59
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    大学の恩師からお手紙をいただく。
    内容に号泣する。

    「証」とは何であるのか、今まで諸聖人達の話でしか知らなかったが、
    このような煩悩塗れの罪人にも、「証」はあるのかと思い、
    どうしようもなく涙が流れる。




    いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。

    (ピリピ人への書 4:4)





    こんな人間が、こんな不細工な独身の中年男が、
    この言葉の「証」をする人になろうとは。
    日々是好日 | - | - | - | - |

    忙しいのは嫌いじゃない 忙しくないのも嫌いじゃない

    2010.10.18 Monday 14:26
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      代休を一日執行。
      本当はゆっくり寝坊したいところであったが、
      思うことがいろいろあって、いつもと同じ時間に起きる。

      溜池山王まで行き、日枝神社まで願下ろし。
      日本語学校を辞める際、この神社で、再就職先を祈ったが、
      その一ヵ月後に今の会社に拾われた。
      長く、お礼参りをと思ってたが、なかなか時間が取れなかった。
      カトリック教徒だろうと、曹洞宗に帰依していようと、
      相手が神仏であろうと人間であろうと、
      礼を言うのが仁義というものだ。

      参拝を終えると、「不倫は文化」とのたもう俳優が撮影をしていた。
      興味ないのでさっさと次の場所へ。



      団地の振込先の変更
      手続きをしに、新宿まで。
      と、その前に、強烈な便意。
      知らないビジネスオフィスに飛び込み、用をたす。
      ウォシュレットの普及が進み、ありがたいことだ。
      偶然、入ったビルの中に、
      破壊されたデータを
      普及する会社があった。
      パンフレットをいただき、名刺を置く。
      そう。
      代休であるが、参拝するために、今日はネクタイ姿なのだ。
      いつでも営業、ばっちこーい。

       

      団地事務所で手続き。書類を書き込んだが
      銀行の窓口に提出しなければならないそうで。
      はてさて、新宿に三井住友銀行は数多くあれど、
      近くにあるかいな。

      あ…伊勢丹の地下にあったんだね。
      こちらも5分とかからず、手続き終了。



      新しい休日用のバッグがほしいと思い、
      東急ハンズまで。
      めぼしいものは見つからなかったが、
      どういうバッグがいいのか、イメージがつかめただけでもよしとしよう。




      なんか用事が全部済んだ。
      あっという間だったな。
      このまま帰って、明日に備える?


      あ…観たかった映画が…。
      金券ショップはこの近くに…あった。

      じゃ、代休の一日、たのしむとするか。



      忙しいのは嫌いじゃない。
      でも、忙しくないのも、もっと嫌いじゃない。
      日本人、追い込まれても、自分を追い込むな。
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      これからも静かに、片隅で、人知れず仕事をしていたい

      2010.08.11 Wednesday 23:07
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        平和だ。
        人知れず、大部屋の片隅で、
        静かに仕事をする。
        存在そのものを、忘れてくれる静けさが、
        こんなにも心地よいとは。
        おかしなノルマに追われることなく、
        人気で気分が左右されるタイトルを持つことなく、
        時に叱られても受け流し、
        時に褒められてもさっさと忘れ、
        春は花、
        夏ほととぎす、
        秋は月、
        冬、雪冴えて
        心に悲しみも喜びもなく、
        ただ、日々を涼しく過ごしつつ、
        求められていることに、我を交えず、
        能力以上のことはしない。



        退屈?
        人生は畢竟、退屈なものだ。
        芥川龍之介は、人生をマッチのようなものだと喩えた。
        重大に扱うのも馬鹿らしいが、慎重に扱わないと危険だと言う。
        実に巧い。
        我輩にとって、人生って何かって?
        知らんがな。
        そもそも、これが我輩の人生であって、他人に教えられるものじゃなかろう。
        幸せは何かって?
        以前の我輩なら、面白いゲームを作って、人を喜ばせるとか、言っていただろうな。
        今の我輩の幸せか…。

        仕事をさっさと終えて、
        家でシャワーを浴び、
        蚊取り線香を焚きながら、
        ゆったりと夕涼みをすることかな。



        もう、全ていらなくなった。
        だから心地よいのだ。
        このことに気づくために、どのくらい、回り道をしたことか…。
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        「幸せ」・・・ねえ

        2010.07.05 Monday 23:29
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          「落ち着いたから、そろそろ結婚したら?」

          旧友から珍しくメールがきた。
          そいつは無茶というものだ。
          明日、何がどうなるのか判らない世の中、
          自分の身一つを支えるだけでも大変なのに、
          結婚したら、動けなくなってしまう。
          それに、今の仕事で判ったことだが、
          我輩は一つのことに集中すると、
          マルチタスクが機能しなくなり、
          重戦車のように目的を果たし、
          後になって

          「おまえ…また、あれを忘れたな」

          と叱られる属性を持っているらしい。
          まあ…元を言えば、そういう職にあった人間だから、
          経営サポートとなると、同時進行に複数処理できる才覚が必要であり、
          それを鍛えるには、もう少々時間がかかるようだが…。

          そこに結婚なぞしたら、二つのことを抱える事態になってしまう。
          人生、一つに集中したい性格だと気づいたから、どちらかを
          破綻させてしまうことが目に見えているようなことに
          足を踏み出したくない。

          やっと判った、なぜ結婚しないかという理由。

          まあ…ブサイクな肥満体だから、それ以前に異性が
          鼻を摘んで避けているのが、事実としてあるけどな。
          へ?
          だったらダイエットして、身だしなみを整えろ?
          それをやったら、仕事に集中できんので、お断りだ。



          「でも、幸せになれるぞ?結婚すれば」



          なんか、凄まじいデジャブを感じるな。
          以前、怒り半分皮肉半分込めて、結婚しないことの正当性を訴え、
          おかしな顰蹙を買ったものだが、実を言うと、あれは我輩の本心ではない。
          物事を常に裏から見てしまう悪い癖と観察力で得た僻みのようなものか。



          我輩の中で、もう「幸せ」になるという気持ちは、存在しない。



          地位を剥ぎ取られ、
          名誉も奪われ、
          周囲から裏切られ、
          貧困の中に追い落とされた瞬間から、
          何かに「幸せ」を求めるということは、しなくなった。
          それだけだ。

          今、仕事を楽しんでいる。
          が、それに「幸せ」を見出そうとはしない。
          ただ楽しい。
          そして、それに一分一秒集中する。
          それだけだ。

          身に余る地位と仕事に見合う名誉を受けているが、
          いつ剥ぎ取られても、どうと思わなくなった。
          いや、いっそ剥ぎ取られたほうが、気が楽と言えよう。
          ただひたすら、仕事をし、
          日々を生きるだけで良い。
          それだけだ。

          いつ、職を追われても、動じることもない。
          はぐれ雲のような貧乏生活も、味わいがある。
          養うべき妻も子供もいない。
          自分の身一つ、なんとでも暮らしていける術を知り尽くした。
          いずれ五大に帰る身なれば、
          魂魄を軽やかにするのも、良いものだ。

          死ぬことも、どうということはない。
          一瞬を生き、死ぬ時に死ねればよい。
          元から何も持たずに生まれたのだから、
          何も持たずに死ねばよい。
          忘却されることを恐れる人もいるが、
          恥多い人生を覚えてもらおうとは
          更々思わん。
          さっさと我輩を忘れて欲しいものだ。

          「幸せ」の基準が存在しないことに気づいた時、
          何とも生きるのが楽になったことか。
          「幸せ」を求める必要はない。
          そうすれば、「不幸」になるということもない。



          「それでも一つは、『幸せ』を思う気持ちはあるのでは?」




          うん…
          ある。

          ただ、我輩の求める「幸せ」を笑わないで欲しい。



          我輩が死ぬ、その刹那、
          目に入る光景が、この世で最も美しいものであり、
          その美しいものと一体になる。

          その「完成」されたものにこそ、我輩の望む、唯一の「幸せ」がある。
          それ以外の、それ以上の望みは一切ない。
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          セカンド・ファーストペイデイ

          2010.05.31 Monday 23:34
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            初給与を拝領する。
            涙が出そうになった。
            全然仕事をしていないのに、
            この給与明細の重さは、人生において
            最も重く感じられた。

            セカンド・ファーストペイデイ。

            感謝の言葉を、親に、
            心配してくださった、師匠、大兄、先生、諸先輩方に。
            心配してくださった、全ての友人知人たちに。
            心配してくださった、このむさ苦しい男のブログを読んでくださった方々に。

            空っぽの我輩。
            何もかも失った我輩。

            だから、ここからこの空の器に、
            新しい思い出を、一つ一つ容れていこう。

            一度は死んだ身だ。

            久高島で、幸せについて悟った身だ。

            もう、怖いことは何もない。
            今、この瞬間を、懸命に生き、
            死ぬ時に、迷わず死ぬ。

            それでいいのだ。
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            カトリックと禅についての拙考

            2010.04.06 Tuesday 17:01
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              昨年、解雇通知を受けた直後から、
              気持ちに何かがある時、自然と足を向ける教会が
              四谷にある。

              吉祥寺にも立派な教会があるのだが、駅から遠く、
              また、吉祥寺に立ち寄る機会がめっきり少なくなった。
              逆に、就職活動やらで、四谷駅に降りる回数が増えた。
              面接や打ち合わせ等の予定より早めに到着したら、
              コーヒーショップで時間を潰すのが普通であるが、
              駅周辺にそのような店は見当たらず、駅ビル内のショップは
              小洒落たのが中心なので、節約をしたい身分としては入りたくはない。

              だからなのか自然と、聖イグナチオ教会に入り、祈る。

              どの時間に入っても、静かに祈る人々の姿がある。

              古来よりあるタイプではなく、円形をベースにした
              現代建築で、古い聖イグナチオ教会を知っている自分としては、
              最初の頃は違和感を抱いたものである。
              だが、慣れてくれば、この簡素だが、居丈高ではない、
              柔らかい光注ぐ教会も、なかなかどうして、日本人の感性にあった設計だと、感心する。

              礼をし、椅子に座る。
              しばし黙想する。
              一人の弱い人間として、静かに神と向かい合うこの祈り方は、我輩は好きだ。
              ロザリオの祈りを勧める司祭や信者もいるが、全てを忘れて、沈黙の中に座するのが好きだ。

              カトリックはミサという動的な祈りと共に、
              黙想という静的な祈りが共存する。
              神を讃美し、キリストの聖体を拝領し、言葉を通して信仰を再確認するミサは、それ自体が一つの神の王国を具現化したものである。
              黙想し、神を思い起こし、キリストの奇跡に思いをゆだね、忘我の中に、かすかな光を見出す祈りは、自分は何者であるのかを鋭く問う静かだが激しい讃美の形だ。
              ここに禅と同じものを見出した。
              だからカトリックを信仰しつつも、禅門に居士として入ることに、不自然さを感じることは全くなかった。
              禅寺に入った日に、住職が本尊を指指して

              「我々がこの本尊を拝むのは、超自然的な力を求めてのことではない」

              「我々が本尊を拝むのは、禅の大先輩への挨拶に過ぎない」

              この言葉に、我輩の気持ちは固まった。

              禅は全てを放り出すこと、そして放り出した先に、自分が何であるのか知る事。
              カトリックの信仰もまた、全てを放り出すこと、そして放り出した先にあるものが、何であるのか知る事。
              飛ぶ鳥は無用なのか?
              地に咲く花は無用なのか?
              それを思い起こしたいものだ。



              さて、時間がきた。



              今、ここにいる我輩は、無用の無用。無用の極致にあるもの。
              今、ここにいる我輩は、無用の極致にあるが故に、これから何かで満たすことができるもの。
              無用は用あるものにして、用あるものは無用なるもの。

              自分が無用な存在だと徹底的に判れば、そこから道は開ける。
              無用だからこそ、用として満たされる希望があるからだ。
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              徒然と…

              2010.03.23 Tuesday 13:14
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                半年分のペットボトルゴミを、早朝、まとめて捨てる。
                量がハンパじゃない。
                プラスチック部を外し、潰しても、60リットルゴミ袋が満載になった。
                清掃車のみなさん、ご苦労様。



                昨晩作成した履歴書で、証明写真のストックが切れる。
                撮影した写真屋・らかんスタジオは、吉祥寺だけでなく、何故か武蔵小金井や東八通りにある。
                それにしてもわからん。
                なぜ、こんな辺鄙なところに、支社を構えたりするのだろうか。
                確かにこの近辺には、写真屋がないのはわかる。
                でも、記念写真とか撮りたいというのであれば、吉祥寺まで行けば済むというもの。
                いや、別に否定しているわけではない。
                経営としてやっていけるのか、少しだけ心配なだけ。
                まあ、我輩としても、武蔵小金井にあるというだけでも、ありがたいことではあるが(駅から相当離れているという点を除いて)。

                「何枚、刷りますか?」

                この不況で、簡単に職が見つかるはずはない。
                絶対に長期戦になる。
                下手すれば、失業保険も途切れてしまう事態もありうる。

                30枚、刷ってくれ。

                …店員さん。
                同情いっぱいの眼差しはありがたいのだけど、
                先を急いでいるので、清算を。



                昨晩しあげた履歴書を郵送すべく、郵便局まで。
                最近の簡易書留って便利なんだね。
                以前は小さい紙に、送り先とかを書いてたりしたものだが、
                今では宛先と発送元を写真で撮影して、データとして残す仕組みになっているようだ。
                この機材やシステム、どこの会社が競り落としたのだろうか。
                かなりの儲けになっただろうな。



                用事を全て終えて、団地に帰ろうと思ったが、バスではなく、たまには散歩しながら…。
                新小金井街道沿いを歩いていたら、満開の枝垂桜が…。



                春だな…。

                お、こんなところに神社があったんだ。
                10年近く暮らしているが、この桜がなければ、気づかなかった。
                ほお…大澤上宮神社。
                藤原氏の分家が流れ着いて、大澤に改名し、ここを開墾した際に祀った神社とか。
                そういえば、この近辺、「大沢」という地名が非常に多いし、「大澤」「大沢」という姓を持つ人も多い。
                なるほど、そういうことだったのか。

                「大沢」に連なる者じゃ、ござんせんが(ぉ)、挨拶させていただきやす。w



                我輩の春は、いつになるだろうか。
                この大不況だ…覚悟を決めないと、いかんかもな。
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                むしろ、役に立つ偽善を

                2010.02.16 Tuesday 23:44
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                  み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを



                  かなり以前、インドにおける生前のマザーテレザのテレビドキュメンタリーがあった。
                  ある若者が、修道会「神の愛の宣教者会」に対して協力を申し出たい、仲間たちにマザーテレサの活動について説明し、みんなが手伝いに集まれるようにしたいと言ったのに対して、



                  「そんなことより、お金を集めてください」



                  と叱責した。

                  これだけを書いてしまうと、呆気にとられるかもしれない。
                  聖女であるマザーテレサがなんでそのような俗っぽいお願いをするのかと。
                  だが、そのドキュメンタリーの前後を観ると、この言葉に深い意味があるのを知る事ができる。

                  「もっとも貧しい人のために働くように」との天命を聞き、インド・コルカタで死に行く人たちへの平安のために修道会を開いた彼女の元に、ぞろぞろと賛同者が来たわけではなかった。
                  ヒンドゥー教が深く根付き、キリスト教に対してある種の抵抗感を抱いていたインド人にとって、不信の目が向けられたのは当然であったが、それ以上に、「もっとも貧しい人のために働くように」という命令が、現実としてあまりにも厳しいものであった。
                  特有の風土病に犯され、膿と垢の中で打ち捨てられた人を、死の直前まで看取ることは、体力的にも精神的にも過酷なものであった。
                  軽い気持ちでボランティアに来る旅行者もいたが、その厳しい現実に直面しただけで、気分を悪くし、中には倒れる者まで出てきた。
                  厳しい言い方をすれば、自己満足に拘泥しているに過ぎない、見当違いの「助け」だ。

                  修道会にとって必要なのは、真剣に「もっとも貧しい人のために」に無私で働く労働力であり、それができなければ、現実的な方法での助けであった。つまり物的な援助である。
                  食料、衣料、医薬品。
                  だが、食料はインドの風土では長持ちしない。
                  衣料にしても、傷みが酷くなり、管理しきれない。
                  医薬品もまた、保管が難しい。
                  であれば、いつでも必要に応じて、直ぐに買うことのできるお金が、現実的な、修道会にとって労働力と同じくらい大切な助けであるのだ。

                  協力を約束しようとしたその青年に対して、マザーテレサが欲したのは、生半可な同情による、修道会のPRではなかった。
                  極めて現実的な、助けであった。
                  実際、映像でみたその青年は、人こそよさそうであったが、とてもあの環境で長続きできるタイプではなさそうだったし、また、彼の友人知人についても、同じくらい、労働力として期待できそうにもなかった。
                  マザーテレサがそれを見抜いたかどうかは分からない。
                  ただ、経験から、その青年に対して、もっと現実的になれ。現実的な助けをよこして欲しい。現実的な方法で、

                  「み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」

                  望んだのである。



                  ハイチ千羽鶴騒動、ネットの批判に「何もしない人間が叩くな」「やらない善よりやる偽善」と反論の声も

                  以前、この記事を読んだ時、このことを思い出した。

                  「やらない善よりやる偽善」

                  随分おかしな理屈だ。
                  キリスト教における「愛」の正反対の言葉は「憎しみ」ではなく、「無関心」である。
                  「やらない善」という言葉は矛盾している。
                  そして何よりも「やる偽善」というのも、この千羽鶴を折って送るという行動において、「善」でも「偽善」でもない、前述のマザーテレサが叱った青年と同じである。
                  「助ける」つもりが、汚臭で倒れたボランティア。
                  時間も金も無駄にして、意味を成さない千羽鶴。
                  どちらにおいても見えるのは、見当違いの自己満足。
                  むしろ1時間でもアルバイトをして、そのバイト代を寄付することのほうが、その思い付きが「善」「偽善」であるかはともかく、本当の意味での「助け」になる。



                  まあ、もっとも、ドラえもん基金や日本ユニセフ、ホワイトバンドには寄付するなよ。
                  ハイチに送られるはずの寄付金が、それこそ「善」でも「偽善」でもない、自己満足の「泥棒」の懐に入っちゃうんだからね。
                  それならいっそのこと、「ウィーアーザワールド 2010ハイチ」を、iTunesからダウンロードしたほうがマシだというもんだ。w



                  それにしても…

                  み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを

                  そうなんだよな…。
                  祈れば天から何かが降ってくるという意味ではないんだよな、この祈り。


                  そういえばマザーテレサの言葉に

                  「身近な人間に気を向けることが出来なければ、遠くの人に愛を持って接することは出来ない。身近な人間に優しく出来ないのであれば、遠くの人間にも優しく出来ない。」

                  というのがある。
                  これも、この青年に対してだけではなく、「善」「偽善」以前に、まず現実において、自分ができることは何か、自分ができる「助け」とは何か、我々に対して、それを見極めよという、叱りが聞こえてくる。
                  日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                  せめて第九でも聴いて

                  2009.12.31 Thursday 21:00
                  0
                    あと3時間で、2009年も終わる。

                    何ともはや、時が経つのは早いものだ…。
                    解雇されて、人生ではじめての無職を味わうが、
                    一方で職業訓練学校に通ったことで、
                    人生に対する考えが大きく変わった一年であった。

                    著作権や国際法務、英文契約書やビジネス英語でのネゴシエーションなど、
                    足りなかったものの基礎を固めることができた。

                    何よりもすばらしい仲間がたくさんできた。

                    大学時代以来、懸命に勉強した3ヶ月であった。
                    人生を見直す時期は、誰にでも必要だと、日記にも書いた。
                    解雇され、途方に暮れている人がいれば、我輩は胸を張って
                    助言したい。

                    「職業訓練学校に入れ。自分の今までの人生が 
                     どんなだったか、見直せる機会だ。
                     それがくだらなかった人生だと気づくかもしれないが
                     それはすばらしい宝になる」

                    と。
                    これも日記に、以前書いた。



                    僅か3ヶ月の期間だったが、
                    ゲーム業界にいた20年弱の期間よりも
                    はるかに濃密な時間だった。
                    これは偽ることのない感想。
                    経済的に苦しいのは確かであるが、焦りはない。

                    20年の経験に、20年よりも濃い知識と共に
                    新たに人生を歩もう。
                    来年が、いろんな意味で楽しみになってきた。
                    不安?
                    それはあるとも。
                    国内だろうと、国外だろうと、
                    新しい場に入ることにおいて、不安を感じない人はいない。

                    だが、希望はある。

                    せめて今は、第九を聴きつつ、
                    ゆっくりと休もう。



                    良い年を。
                    日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                    そして皆にありがとう

                    2009.12.31 Thursday 20:16
                    0
                      今回で何回目なのだろうか。
                      コミックマーケット。
                      始めた頃は、サークルチェックを徹夜でやっていた
                      熱心なオタクだった。
                      今はカタログを一切買わずに、
                      経験と勘だけで、行きたいジャンル、行きたいサークルに
                      自然と足が向けるまでになってしまった。
                      実際、欲しかった雑君保ップ先生のサークルまで
                      難なく辿り着けた。
                      鷹に場所を教えてくれたが、メモをし忘れ、
                      はじめは途方にくれていたが、説明しにくい
                      空気のある種の流れ(これは冗談ではなく、本当にあるのだ)を掴み、
                      買うことができた。

                      使い物にならない能力であろう。
                      我輩もよく理解している。
                      でも、かれこれ20年弱も色んな形で
                      参加していけば、こういうこともできてしまう…
                      何ともはや、人生はなんと早くに過ぎてしまうものか。

                      金子師匠、差し入れありがとうございます!
                      如月様、玉稿ありがとうございました!
                      鈴木君、情報ありがとう!
                      ブログをご覧いただいた方々のお越しは、我輩にとって、最高の名誉!
                      里伽子タソハアハア君、西館だったのだよ、また来年!






                      「また来年」…か…。

                      この大不況、経験ではなく、奴隷としてこき使える体力が要求される、一億総ブラック企業化したこの日本で、来年、我輩は居続けることができるのだろうか。
                      そして、年齢を重ねても、コミックマーケットを楽しめることが、今後できるのだろうか。

                      夏休み、冬休みに日本へ戻れば…。
                      ただ、国外で働くという選択肢を取ることは、相当の覚悟を持たねばならない。
                      その場所を、最後まで動かない覚悟というのを、意識しなければならない場合もある。

                      いや、それ以前に、コミックマーケットが存続できるのか。
                      特定アジアに政権を譲った馬鹿な国民は、この文化が続くことを望んでいないように思えて仕方がない。

                      神に全てを任せよう。
                      日本に残るのであれば、残ってみよう。
                      解雇されたその日、四谷の聖イグナチオ教会で祈っていた時に聞こえた

                      「視よ、我なんぢらを遣すは、羊を豺狼のなかに入るるが如し。この故に蛇のごとく慧く、鴿のごとく素直なれ。」(マタイ福音書 10. 16)

                      という言葉の通りに、国外へ我輩を出すのであれば、出るしか道はない。

                      ただ、これだけは伝えたい。
                      どのような形であれ、そしてどのような結末を迎えようと、
                      我輩はこの文化を愛する。



                      来年、本当に我輩はどこにいるのだろうか。

                      鳥は空に暮らし、
                      花は地に住する。
                      されど人は、いつまで彷徨えば良いというのだろうか。
                      日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |