ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

白髪のタイミング

2017.05.15 Monday 12:58
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    どの単行本だったか覚えていないが、漫画家の桜玉吉翁があるエッセイ漫画の中で、自分の陰毛に白髪が生えて、老いに少し懊悩しながらそれを引っこ抜くというシーンがあった。

    頃合いからすると、もう20年弱前のことなのだろうか。

    何気なく読み、記憶の片隅に置いてたのだが、昨年あたりにそれがポンと浮かび上がった。

    しかも我輩の場合、それは陰毛ではなく、鼻毛という…。

     

    今いる会社は埃や排気ガスが多く、鼻毛がよく伸びる。

    エチケットとしてはみ出ないように(しかし剃らないように。剃ると必ず急性副鼻腔炎になるので)小さいハサミで整ているのだが、その日、鏡の中で、妙に映える白い一本筋を確認した。

    どうしても気になるので、毛抜きでエイヤ!…と抜くと、見事なまでの白い鼻毛だったのだ。

    で、前述の漫画を思い出したというわけだ・。・

     

    体質的に我輩はどうやら、髪の毛に限らず、体毛のアチコチ白くなるようだ。

    その後、腋毛にも白髪が生えてきた。

    桜翁と同じように陰毛にも生えてきた。

    胸毛にも白髪が出てくるようになったが、まさか脛毛にまでも生えてくるとは思いもしなかった。

    特に気にしないで、そのままにしている点は、翁とは違う。ただ、老いを認めるというのではなく、単に白っぽいものが入ってたほうが、我ながらかっこいいのでは?…という勝手な思い込みがあるのだが。

     

    白髪だけではない。

    眉毛が異様に伸びている高齢者を時々見かけるが、我輩もそんな中の一人になりそうだ。

    20代の頃は右の眉毛から一本だけ長いのが伸びてたが、今では左右から10本くらいが太くにょーんと伸びている。

    床屋に入る時は、切らないでそのままにして…とお願いすると、変な客だなあ…という表情を見ることができる。

    実はちょっと、”すだれ眉”に憧れていたりする。

     

    頭髪の一本一本、細くなっているが、禿る様子がない。

    白髪は増えているのはさっき書いた通りだが、気持ち、増えているような気がする。

    また相変わらず、伸びるのが早い。エロエロなのも相変わらずであるが、まあそれとは関係ないだろう。

    毎日帰宅後、きちんと洗髪し、身ぎれいにしているのだが、恰好のためというより、健康のための最低限の心構えというものだ。

    そのおまけくらいなものだろう。

     

    アラフィフの頃合いに入り、人生の身支度を日々行ってたりすることが楽しくなってる。

    独り身で死ぬことが決定しているから、周囲に迷惑をかけないように常日頃考えなければならない。

    その一方で、大型特殊車両免許を取ったり、ひそかに別の資格を取ろうとしたりして、年末年始を海外(台湾かマレーシア)か石垣島で、あるいは定年退職後に石垣島移住を考えたりして、人生をそれなりに楽しもうとしている。三線も下手であるが弾いてて楽しい。Wacomの液タブは返品したが(これについては後日詳細をw)、代わりに価格半額以下の液タブを買い、その分かりやすい使い方に、下手なりの同人漫画を描き始めてる。コミケまで間に合うかな?

     

    身体的な老いの前に、心臓が弱っていることでの体調不良は否めないが、この年齢になると、過去のことなぞどうでもよくなってきた。その一方で、将来は何をしようかということを考え、それを実行に移し、実現させることにとてつもない楽しさを感じるようになった。

     

    どっかのブログで、40歳代の女性が、自分の人生のつまらなさや将来が見えてこないことについて絶望し、泣き崩れてるのが話題になって、ネットニュースとかに取り上げられてた。たくさんの同情する声があがってたが、我輩からしたら、「?」しか出てこない。

    誰だって年取るもんだよ。

    良い学校を出て、良い就職をし、出世とかしたところで、いずれそれらは意味がなくなるものだ。

    それらにとらわれ、過去の自分と比較するから泣きわめくんだよ。

    「あの頃の私は」って、それは過去の自分であって、今の自分とは全く関係のない幻だ。

    それともこれか?

    「こんなに努力したのに、自分には何もない!」

     

     

    何もないなら、今からその何もない自分に、何かを加えろ!

     

     

    別に資格とか取れってことじゃない。

    以前からやってみたかったことがあるか?

    ならばこのブログを閉じて、そのやってみたかったことを検索してみろ。

    「馬に乗ってみたかった」…けっこう!あちらこちらに初心者向けの学校がある。費用?数カ月贅沢を控えろ、あっという間に即金でできるぞ。

    「お茶とかやってみたい」…別に看板が掲げられてる師匠とかに入門する必要はない。市民講座とかで毎月開催されている。料金も微々たるものだ。

    「旅行がしたい」…それも素晴らしい「何か」だ!いきなり世界一周とかも良い。え?怖い?ならば隣の県の観光名所を調べて行くのも立派な旅行だ。

     

    プライドを持つのは正しいことだが、そのプライドが本当の意味で正しいものでなければ、みっともないことになる。

    現実にそぐわないプライドは単なる勘違いに過ぎず、社会にありのままの自分を合わせられないから過去にしがみつき、現実を否定し、逃避する。社会に合わせたとしても、過去の自分を美化しすぎるあまり、自分は何もないまま老いて死ぬことに恐怖し、泣き叫ぶ。

     

    馬鹿馬鹿しい。

    人生是、全て無用也。

    いなくなったところで、現実はきちんと動くのだ。

    畢竟、自分は「無用」だと知ることが重要だ。

     

    「無用」だとしたら、なんで生きてるのかって?

    「無用」だと分かれば、そこから何かを詰めていけば良いだけだ。

     

     

     

    にしても、腹毛にも白髪とは。w

    日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

    きちんと年齢をとること

    2015.06.03 Wednesday 21:56
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      40代独身男の悲壮感は異常


      このスレを立てたのって、結婚したことのないアラフィフ独身女性じゃねーのか?・・・と思ってしまった。
      「独身は寂しいやん」・・・この一文が、既に男性の感情ではない。

      まあでも自らを思い返し、見回してみると、独身既婚問わず、40〜50代にかけて”悲愴”に見えるというのはあるかもしれん(ちなみに”悲壮”は誉め言葉だぞ?悲劇的ながらも勇敢な・・・という意味だからね。”悲愴”は悲痛とかと同義で、ひたすら悲惨な状況を意味している)。

      サラリーマンに絞れば、そこにあるのは思い通りにならない人生。
      家族の生活とローンを抱えての人生。
      だが家族とのコミュニケーションが途絶え、粗大ゴミ扱いされる人生。
      かつての同期との競争で、勝ち負けがはっきりした人生。
      仮に勝ち組だとしても、役員にならなければ定年でポイ捨てされる人生。
      負け組だとしたら、若い連中に相手にされない人生。
      「40代になってから読む本」とかの意識高い系の本を読むと、できないことばかりが羅列されていて愕然とする人生。
      独身だと、ホモだと間違えられる人生。
      役職とかについていないと、まったく相手にもされない人生。



      でもね、見直してみると、自分自身の責任でもあるんだよな。

      サラリーマンになるということは、その会社から給料を貰っている分だけ働くという契約を結んだことになる。
      であれば、契約以上の仕事をする必要はないということだ。
      不況になってリストラの対象者になりやすいというのであれば、会社の外で自分のキャリアを作れば良いのだ。
      そこには肩書きとか勝ち組とか負け組とかは存在しない。
      大体、役職って、ほんとーーーーに他社とかでは、まったく役に立たない。
      参考にはなるが、会社の仕組みが違っていれば、通用しない。
      どっかのCEOをやって、別の会社のCEOになったというニュースはたくさんあるが、口先八丁で株主を騙すテクニックがあるにすぎない。まあ、考えてみたら、それもまた重要なビジネススキルであるがw
      会社はあくまでもライフラインでしかない。
      会社の外で自分のキャリアを見つけ、作り、強くしなければ、悲愴な状況になるわな。

      結婚するということは、妻となる女性と一緒に生活をするという約束をしたことになる。
      お金のみで換算するということは、一緒に生活をするということの一部に過ぎない。
      結婚は自らの権利を半分にし、義務を三倍に増やすことを意味する。そこには家族とのコミュニケーションが多く含まれている。
      意見が全く合致しないということもあるが、それでも会話をしなければならない義務を有する。
      その義務を放棄し続けるのであれば、悲愴な容貌になるわな。
      独身であるというのもまあ、誤解されるというリスクを常に覚悟する必要がある。
      これは我輩として、仕方がないものとしてあきらめている。
      心臓病であるということを言い訳にはしていない。プチ貧乏の海外旅行好きで、オタであるということを死ぬまで続けたいということで、女性からの理解は一切得られないと踏んでいるから、ゲイでもホモでもどうぞ誤解しまくってくれ。
      悲愴?悲愴に見られないな、なぜか知らんが。
      人生、楽しんでいるからかな?w



      にしても・・・同世代の諸氏を見ると、ああ、悲愴以前に、相手にされなくなるなー・・・という言動がやたら目立つん。
      ”きちんと年齢をとっていない”諸氏が多く、このスレ主が述べた「悲愴」は要するに、見てて「イタタタタ」・・・なのではなかろうか、と思える。
      ネットスラングに良い表現がある:

       ババア(ジジイ)無理すんな  (まあ、この場合は20歳代以降でゴニョニョニョ・・・)

      自分は若い!・・・と思うのは、個人の内に秘めるのであれば救いはある。
      だが若い世代の空間の中に入り込もうとすると、もう「悲愴」しかない。
      まだ負けられない、仕事なんか任せられない、俺様がいなければ会社はやっていけない!・・・という勘違いの類となると(これがとても多いんだよね)、「悲愴」よりも「滑稽」さが増してしまう。



      自分の年齢という現実に向き合うことができない人間こそ、本当の意味で「悲愴」なのだ。
      未婚既婚とかではない。
      それぞれの事情で義務を負うか負わないかが存在するものであり、そこには幸福不幸の基準は存在しない。
      収入やらステータスやらに、「年齢相応」の枕詞は意味をなさない。
      20代で数億円の年収の人に、「年齢相応」だと言えるのか。
      50代で文字通り、永平寺で文字通り出家している僧を、「年齢相応」だと批難することができるか。



      重要なのは、きちんと年齢をとる、それだけだ。



      年齢を重ねれば、体力は失われる。
      その現実を無視して働けば当然身体を壊す。
      それで失業とかすれば、「悲愴」だわな。
      であれば、失われた体力分だけ、誰かに(たいてい若手に、だが)やらせてみる。
      ここで重要なのは、できるできないかを判断するのではなく、やらせた相手が自分なりのやりかたでできるかどうかを見ることだ。
      職人でもあるまいし、自分のやり方を押し付けるのは、発展の可能性の芽を摘むことだ。
      その人にとってやりやすい方法で、仕事をさせて、結果を出させることに評価の目を注ぐべきだ。

      自分の身体に自信をもってはならない。
      人生折り返し地点を過ぎたら、主治医を作っておくべきだ。
      この場合、一回り自分より若い先生であることが重要だ・・・自分より年上だったら、先に死んじゃうし。w
      わずかな変調も見逃してはならない、自分の身体に対して、臆病であることが求められる。
      糖尿病、肝臓や腎臓に関する病気は、病魔が発現しにくいという点で一番恐ろしい。

      若手と話をするのは良いことだが、若手の集団に入り込むのは避けるべきだ。
      求められていないのに、口出すする人間になってはならない。
      誰かが困った時に、無言で助けること、そして無事に済ませたあとは静かにその場を立ち去ることだ。
      他人の評価は一切関わりないということを、認識しなければならない。
      外部の声は移ろいやすく、中年以降になればそれらの声は自らの人生に一切関係しないものに気づけば、おめでとう、あなたはきちんと年齢をとっている証拠だ。
      無理して若い世代に媚びると、惨めだぜ?加藤茶なんか、良い例だわな。w

      きちんと年齢をとっている人は、仏頂面ではない。
      誰に対しても微笑を絶やさない。
      自分より上の人に対しても、自分より下の人に対しても同じである。
      言葉も態度も、だ。
      上に媚び、下に怒鳴る人間には絶対ならない、いや、なれない。
      何故なら、無礼傲慢な態度をとれば、結局自分がそのような無礼傲慢な嵐に見舞われることを知ってるからだ。

      きちんと年齢を重ねている人は、「因果応報」の理を髄の中に溶かし込んでいるからだ。

      ああ、それと、たとえ自分としては幸福な人生だと思っていても、恰好とかに気を付けないと、スレ主のような馬鹿が勘違いしちゃうからね。
      背広を着ない職にあっても、一年に一回は着てみよう。
      もし、主観的にも着こなせていないと感じるならば、あなたは見た目に「悲愴」な人間になっている。
      「馬子にも衣装」ではないが、社会的な正装は、誰もがある一定以上のステータスに押し上げる偽装のようなものだ。
      ネクタイがよれてる、クリーニング屋に出していない臭いワイシャツ、皺だらけの背広、踵がすりへった靴…それらを平気で着ている段階で、「悲愴」そのものだ。
      きちんと年齢を重ねていれば、そのレッドラインは身についているものだ。
      「人を容貌から判断するな」と言う人もいるが、「容貌はその人の性格を表す」と返すことができる。
      きちんと年齢をとっていれば、そのことを経験で自然と知る事ができるものだ。

      死ぬという自覚も持ち始めるようにしたほうが正しい。
      自分が死んだらどうなるかということもあるが、死んだ場合、遺された周囲が面倒を行さないようにするにはどうしたら良いのかを、きちんと整理したほうが良い。
      これって結構重要なことだ。
      何せ、自分自身の人生を振り返る作業と同じことだからな。

      そして、可能な限り、自分がやりたいと思うことをやってみよう。
      仕事とかでどうしてもそれをやれる時間がないのであれば、時間を作ってしまうのだ。
      会社はあなたがいなくとも、勝手に進むものだ。
      我輩も2週間、マレーシア〜タイまで遊びに行ったが、まったく問題なかった。
      世間はあなたがいなくとも、勝手に動いていることに気付けば、きちんと年齢をとっているということを意味している。



      少し人生、見直そうよ。きちんと順々に老いてやがて死ぬことが、幸福な人生を気持ちよく過ごす秘訣だぜ?
      日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

      詠み人知らずの祈りの先にあるもの

      2014.12.24 Wednesday 20:52
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        社会の現実をキリスト教的リアリズム(現実主義)に立脚し、悪の根源は”傲慢”、”自己の行為に満足すること”からの自己中心性、自己神格化による”自己の全能性”を鋭く批判し、アメリカで今もなおキリスト教において絶大な影響力を、没後三十数年経った現在でも与え続けている、プロテスタント新正統主義の巨人ラインホルド・ニーバァー博士。
        歴代の大統領は常に同博士の言葉に感化を受け、今では何の冗談かと思われるオバマ大統領のノーベル平和賞受賞の演説において、博士の功績を賞賛した。
        一方でなかなか複雑な人間でもあった。アメリカにおける”社会的多元性”を訴え、KKKに対して激しい攻撃をした一方、ユダヤ人の改宗に積極的だったし(ただナチス政権が樹立した頃、これは誤りだったと改めた。イスラエル建国に積極的で、ユダヤ人の”寛容さ”を賞賛してたが、今の現実をあの世からどう見てるんだろうか)、マーチンルーサーキングJr牧師は博士の神学を模範としてたと述べてたが、博士は公民権運動には極めて消極的だった。

        良くも悪くも、アメリカのキリスト教とは何かを問われれば、必ず筆頭に挙げられる顔であった。



        日本におけるクリスチャンの数は、人口の1%未満だと言われている。
        新興宗教とかの信者数を合算すれば、実際の人口を遥かに凌駕するが、逆算すればおそらく1%どころか、一毛いるかどうかも怪しいものだ。
        我輩もカトリックを信奉していたが、日本におけるカトリック教会のあまりの売国奴っぷりに呆れかえり、少なくとも日本国内にいる限り、日本における教会から距離を置くようにしている。
        心情では、信じてる。
        が説教の中で、日本人をゴキブリだと評して、特定アジアに対して一生奴隷でいなければならないとほざいたあの神父に対して、靴を投げつければよかったと未だに後悔している。

        まあ、そんなクリスチャンであってもなくても、ラインホルド・ニーバァー博士の名前を知らないことのほうが日本人なら当然のことだ。
        カトリックならいざ知らず、プロテスタントで知っているとすれば、神学学校で学んだ牧師くらいなものであろう。



        だが、一方で、この祈りなら、どっかで聴いたことがあるのではなかろうか?



        God grant me the serenity
        to accept the things I cannot change;
        courage to change the things I can;
        and wisdom to know the difference.

        神よ変えることのできるものについて、
        それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
        変えることのできないものについては、
        それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
        そして、変えることのできるものと、
        変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
         (大木英夫博士訳)


        聴いたことない…いや、聴いたかな?
        ちょっと厨二病を患ってた頃に、齧ったような?

        和訳がなんかガチャガチャで、個人的に好きではないが、大木博士のこの訳が日本では比較的知られているので、転載した。

        原題は”Serenity Prayer”。
        和訳では”ニーバァーの祈り”として知られているが、直訳すれば”平静の祈り”か。
        博士が書いた詩とされるため、”ニーバァーの祈り”とされているが、実際のところ、博士が作ったものであるのか、曖昧なところがある。
        博士が1951年に雑誌の中で発表したことで、広く知られるようになったが、実際のところ、詠み人知らずでの”祈り”あるいは詩として、更に数100年前から口伝で伝承されたものである可能性が高い。
        また、この祈りは、雑誌で博士が伝えたことによって広まったのではなく、アルコール依存症や神経症を治す団体が採用したことによって、誰もが一度は聴いたことがある祈りとなった。

        ”ニーバァーの祈り”として、1951年に発表された祈りは、この4行に新たな詩を加えたことによって、キリスト教的というより、禅における”日々是好日”の境地に至らせる変貌をもたらした。


        God, give us grace to accept with serenity
        the things that cannot be changed,
        Courage to change the things which should be changed,
        and the Wisdom to distinguish the one from the other.

        Living one day at a time,
        Enjoying one moment at a time,
        Accepting hardship as a pathway to peace,
        Taking, as Jesus did, This sinful world as it is,
        Not as I would have it,
        Trusting that You will make all things right,
        If I surrender to Your will,
        So that I may be reasonably happy in this life,
        And supremely happy with You forever in the next.

        Amen.



        神よ、平安の下に力をお与えください。
        変えられないものを受け入れる寛容を
        変えるべきものを変える勇気を
        そしてそれらを見分ける知恵をお与えください。

        一日一日を歩み生き、
        生の一瞬一瞬を喜び、
        あらゆる生における困難は平和へ至る道であることを、
        そう、この厳しい世界を、貧しきイエスが歩んだように
        私を含めた罪深い世界を、そのまま受け入れ、
        しかしその道の苦さを味わうことなく、全てをあるべき姿にあるように、
        そしてそのあるべき姿にこの身を委ねることができるのならば、
        この人生を終わらせるその瞬間、決して私は不幸ではなかったことを悟り、
        天国でとこしえに平安に生きられますように。

        アーメン
          (拙訳)



        変えられないものを受け入れる寛容さ、変えるべきものを変える勇気、そしてそれらを見分ける知恵は、確かにキリスト教的リアリズムに立脚した博士の、詠み人知らずによるクレド(使徒信条)と同じである。
        信仰の目的は、本来、何であったのか。
        我輩自身の個人的な考えでは、”死”が始まりである。
        ”死”という未知なる恐怖に対して、そして遺された生者達の慰めとして、信仰が存在する。
        それが”神話”を土台に、”死”が説明され、”死”を意識することで、どのような”生”を歩むべきかを示される。

        前半4行は詠み人知らずのクレドである。
        残り9行は、博士のクレドを実践した我々の姿である。
        クレドを実践することで、”死”の瞬間、何を得ることができるのだろうか。






        メリークリスマス。
         
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        改めて自分の葬式について考える

        2014.10.11 Saturday 23:09
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          数か月前、腎盂炎で倒れた母が完全復活して、怪気炎をあちこちで吐きまくっている。
          短大の同窓会でもケンカ売りまくったそうだが、話を聞く限り、いつぞや新宿の喫茶店で延々と他人の悪口を言い合う二人の女性とか、ファミレスでのヤンママのDQN発言とか、そういうことをかつての同級生たちがざわめこうとしたら、ブチ切れたようで、やはり血なんだなあ…と。

          「時間ができたら、スペイン一周してくる!」

          と言い出しているし、こないだのドイツ一周では不足だったのか。



          まあそれはともかく、台風が来ると言うこともあって、久々に実家の今で母とくつろいでいると、テレビで墓とか葬式とかの話題が流れてた。

          「ああ、あんたもう結婚するつもりないようだから、これを考える必要ないよ」

          ああ、さいですか。

          「その代わり、色々とあたしの葬儀とかについて、頭の中に留めてくれ、こないだ倒れた時も、死を意識したからね」

          うむ、我輩も死ぬことについて、毎日意識しているから。
          日記にも以前、こういう感じで葬式してくれって書いてるから…って、誰に頼めばいいんだろうか。w

          で、色々と聴いた。
          意外だったのは、神道ではなく、仏教で葬式してくれってこと。
          水戸藩の墓には入りたくないのは、まあ、仕方がないか。
          ある寺について、永代供養とか、そういうのを調べてくれと?ああ、それは容易いよ?
          檀家の寺とかないから、その点、気楽だわな。
          ああ、であれば、生前戒名ってて手もあるな。あれなら数万円で済むし。

          覚悟して聞くということはない。
          誰でも生きていれば、死ぬ時が来る。
          素直にその時をいただければ良いだけだ。

          にしても、我輩自身の葬儀についても、少し見直しをしたほうがいいな。

          何かあった時、そのように動いてくれるように手配するのは、どっかの葬儀会社?NPO法人?毎年、障害者サポートとして一回来る民生委員?市役所?友人知人?うーむ…そういう点では、将来、老人ホームも選択肢だな、全部お願いできるから。

          神道葬を調べてみたけど、手続きが面倒だな、おい…50日間もかかるの?
          残った連中に面倒なこと、させたくねえなあ。
          あと、「諡」ってのがあるんだねえ…曹洞宗の門を叩いてた頃は、「無用居士」と自ら号したが、諡となるとまた違うんだな。
          まあ、これはおいおい考えよう。

          空中葬で骨をばらまくというのもあるが、こっちも永代で世話になるという手もあるな…。
          寺とかの永代供養は腐るほど(?)あるが、神道となるとあまりないんだな。
          ああ、そだ。
          小旅行の際に、ついでにあっちこっちのその手の霊園を見て回ればいいか。

          こないだの伊勢巡礼の時に、海岸のほうをもうちょっと見ればよかったかな。



          でもね、結局一番してほしいのはね、遺産とか全部売り払って、高級ウィスキーを大量に買い、どっかの高台にみんな上って、朝まで飲み明かし、日の出とともに、我輩の人生そのものである「The Parting Glass」…



          これを大音量で流して、天に向かって乾杯してくれたら、  最高の人生の終わり方だ。
          日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

          一枚の絵にしたら

          2014.10.02 Thursday 23:15
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            視よ、或教法師、立ちてイエスを試みて言ふ『師よ、われ永遠の生命を嗣ぐためには何をなすべきか』。
            イエズス言ひたまふ『律法に何と録したるか、汝いかに讀むか』。
            答へて言ふ『なんぢ心を盡し精神を盡し、力を盡し、思を盡して、主たる汝の神を愛すべし。また己のごとく汝の隣を愛すべし』。
            イエズス言ひ給ふ『なんぢの答は正し。之を行へ、さらば生くべし』
            彼おのれを義とせんとしてイエズスに言ふ『わが隣とは誰なるか』。
            イエズス答へて言ひたまふ『或人エルサレムよりエリコに下るとき強盜にあひしが、強盜どもその衣を剥ぎ、傷を負はせ、半死半生にして棄て去りぬ。
            或祭司たまたま此の途より下り、之を見てかなたを過ぎ往けり。
            又レビ人も此處にきたり、之を見て同じく彼方を過ぎ往けり。
            然るに或るサマリヤ人、旅して其の許にきたり、之を見て憫み、
            近寄りて油と葡萄酒とを注ぎ、傷を包みて己が畜にのせ、旅舍に連れゆきて介抱し、
            あくる日デナリ二つを出し、主人に與へて「この人を介抱せよ。費もし増さば、我が歸りくる時に償はん」と言へり。
            汝いかに思ふか、此の三人のうち、孰か強盜にあひし者の隣となりしぞ』。
            かれ言ふ『その人に憐憫を施したる者なり』イエズス言ひ給ふ『なんぢも往きて其の如くせよ』。


            ルカによる福音書10: 25 - 37



            聖書にあるあまりにも有名な「善きサマリア人のたとえ」。
            これについて、様々な芸術家が絵等にしているが、それらすべての芸術作品を凌駕する一枚の漫画をツィッターで見つけた。





































            いつもあなたをうれしそうに見つめ
            微笑みを分かち合い
            暖かい心を向け
            いつもあなたの味方になり
            支え助け
            頼りにされることを喜び
            いつでもあなたの声をしっかりと聴き
            一所懸命、あなたのためになることを考える

            これが本当の親友です。





            いいねw

             
            日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

            朝、どうやって起きていますか?

            2014.06.23 Monday 22:39
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              朝、どうやって起きていますか?

              あー…もうね…毎日が同じ繰り返しなもので、ネタがまーーったくない。
              外出するというのも…ああ、今日は会社の用事で秋葉原まで行ったが、30分で用事を済ませたから、これまたネタは全くなし。
              あ、あることにはあるが…外国人観光客が店内に飲み物を持ち込んできたが、店員が説明しても通じず、我輩が英語で話したがそれも通じず、スペイン語も通じず、身体言語で何とか場を収めた…てなことは日記にすることでもねーな。

              そんな時に、JUGEMのお題目…って、これもネタにならねえなあ…。

              早寝早起きが信条の我輩。
              しかも今の仕事になってから、1日のサークルが完全にパターン化。
              退屈?
              いや、身体にはこれが一番良い。
              朝出勤し、定時に帰る。
              これがやはり、人間らしい生活の送り方なんだなあ…ちょっと給料、あげてほしいけど(やはり副職するか)。

              毎朝5時に起きる。
              目覚ましをかけなくとも、毎朝毎朝、5時10秒前にムクリと起き上がる。
              アラームが鳴る前にスイッチを切る。
              カーテンを開き窓を開け空気を入れ替える。
              トイレで用事を済ませる。
              顔を洗い、嗽をし、耳の後ろを拭き、髪をとかした後で、神棚の水を取り換え、神仏に参拝する(カトリック?んーなんのことかなー?)。
              朝食を作り、食べてから歯を磨き、背広を整えて着替える。
              出社する。

              帰宅後、風呂に入り、夕食を作って食べ、パソコンでゲームをちょっとして、日記も書き、
              法務や語学の勉強をし、コミケ前だから少し原稿を描き、歯を磨き、就寝20分前に座禅を組み、23時に就寝。

              こんな生活を繰り返しているから、寝坊しても良い休日、朝の5時に目が覚めてしまう。
              二度寝すれば良いのに、そのまま起きてしまい、朝食をつくり食べて、掃除をして、洗濯をして…



              結婚できない理由がわかった。

              昔、漫画家の夏目房之助翁が、男性が見合い結婚に走る理由として、
              洗濯した自分の下着を干すことに惨めさを感じて…というのを、「デキゴトロジー」で説明してた。

              我輩のように自分を律する生活をしすぎると、惨めに感じるとか寂しいとか思う前に、
              それが”あたりまえ”だと感じるようになる。
              一人生き、一人老い、そのまま一人で死ぬことは、”あたりまえ”だと日々の生活を通して理解できるようになった。
              誰一人、例外はない。
              結婚したところで、結局は孤独に生き、一人で死ぬことになるのだ。



              生活を律すれば、人生、楽になるぞ?
              というか、目覚まし時計を買う手間がなくなるぞw
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              仕事がまた混んできた

              2014.05.26 Monday 22:54
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                JUGEMテーマ:日記・一般

                とはいえ、数年前のあの業界と比較するのは、阿弥陀如来の足の裏をくすぐるのと同じくらい非礼極まりない。
                実際のところ、締め切りはない。
                身体に負担のない範囲で…との配慮であるが、我輩の悪い癖は簡単に治らないようだ。

                詳細は流石に書けないが、いくつか混みつつある仕事の中に、WordPressを使うというのがある。
                まさかこの年齢で、このツールを勉強し直すとは。
                昨年、1日講座で基本的な使い方を学んだが、半年以上のブランクもこの数日間で埋めることができた。

                数か月前のイントラネットの再構築、最初からこれを使えばよかった。
                このブログも、いっそ全面的にWordPressに移行してみようかな…と思ったが、JUGEMから移すだけでも骨だし、今年秋からある勉強を1年か、もしかしたらそれ以上かけてやるので、そうそうブログ更新なぞできんわな。



                平和だ。とにかく平和だ。
                あの20年間の日々が嘘のようだ。
                このまま静かに余生を過ごせたら、幸せだな。
                 
                日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                生きるという覚悟

                2014.05.17 Saturday 22:49
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                  考えてみたら、”雪風”で夜のドライブをするのは、初めてだったかもしれない。
                  気分転換に付近を一周し、少し買い物をしたら、こんな時間になってた。
                  数年前から若干視力が落ちた所為か、夜間に運転することを避けていたが、軽自動車から小型車に乗り換えたことで、全体的に運転しやすくなった。
                  少し、時間を作って、こういう楽しみを持つのも、悪くはない。



                  それにしても、とうとう45歳になった。
                  年齢食ったな。
                  というか、よく死なずに済んだものだ。
                  心はまだ若いつもりで、今でも時折アキバでアヒャヒャしたりするが、やはり日々、年齢を感じてしまう。
                  心臓も時折発作を起こす。
                  死を日々感じることは相変わらずだ。

                  それでも、かつてのような生き方をしなくなった分だけ、かすかな光を感じるようになった。

                  毎朝同じ時間に起き、身支度を済ませ朝食を摂り、
                  決まったバスと電車に乗り、会社でいつものようにデスクへつき、
                  仕事を日々こなし、ランチを摂り、また仕事を続け、定時に帰る。
                  明日の支度をし、風呂に入り、夕食を作って食べ、「艦これ」をプレイし、
                  日記を書き、ビジネス法務の勉強をし、座禅をして、ベッドに入る。

                  休日は平日と変わらない時間に起き、洗濯機を回し、朝食を摂る。
                  車を出し、スポーツジムで汗を流し、買い物をし、少し余裕があればドライブを楽しむ。



                  平凡?
                  退屈?
                  いや…この年齢になって、やっとわかったよ。



                  平凡な生活は、本当に偉大なものだということ。
                  退屈な日々こと、なんと人間らしいことであるかということ。



                  何とはなしに思うことがあって、こないだ御伊勢参りを果たした。
                  ふと思ったことは、”人生の折り返し地点に来たことへの感謝”としての参拝だった。
                  我ながらおかしな話だと思った。
                  いつ死んでもおかしくない心臓病を患って、まだ半世紀弱生きろって、ありえない話だ。
                  だが、無事に参拝し、せりなさんはじめ、善き出会いがあった。





                  もう少し、長く生きてみようと思わないか。
                  この平凡で退屈な生活は、大いなる恵みだということを、そろそろ受け入れてはどうか。






                  なんとなく、そんな感じがする。
                  人は誰でも必ず死ぬ。
                  我輩は既に何度か死んだ。
                  死ぬこととはどういうことか分かったので、それゆえ、いつ死んでも良いようになっている。



                  だが、生き続ける覚悟は、意外や意外、まだできていなかった。

                  それに気づかせてくれるとは、なんとも面白い誕生日プレゼントだ。
                   
                  日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                  人生半ばなのかどうかは知らぬが

                  2014.03.07 Friday 22:35
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                    JUGEMテーマ:日記・一般

                    消費税が上がるということで、買いだめをしておきたいと思う反面、
                    消費税が上がってもそれを負担を感じさせない企業努力に対して、素直に拍手を送りたいと感じることもある。
                    避けて通れないものに対しては、8%の数値は重くのしかかるかもしれないが、
                    選択肢のあるものについては、ことさら大きく騒ぎ立てるようなものではない。
                    大阪のスーパー玉出あたりが銀座の一等地に進出するというようなことになれば、それはそれで大変ではあるが、
                    探せば今と変わりない金額で、商品を購入することができる。
                    もっともそれは、BtoC企業にとっては辛いことではあるが。

                    日々がこんな感じだ。
                    会社の仕事も楽になった。
                    日々、何かを思うこともなく、何かに思い煩うこともなく、平穏に過ごしている。
                    時折、狭心症の発作が起こりはするが、何とかこの冬を乗り越せそうな感じだ。
                    果たして人生半ばに差し掛かったのか判然とはしないが。
                    もしそうであるなら、少しばかり過ぎし日々を振り返り、思うことを述べても良い時期であるのかもしれない。

                    もっとも、我輩のことだ、表現がおかしいかもしれんがな。



                    もし真っ当に生きたいのであれば、公衆浴場に問題なく入ることのできる人間であることが重要だ。
                    公衆浴場だけではない、温泉もしかり、スポーツジムもしかり、市営プールもしかり、神輿を担ぐ場合もしかり。
                    つまり、刺青を肌に入れる人間の屑になってはならないということだ。
                    人間として社会に生きる上で、あたりまえのことを享受する資格を自ら放棄する行為、つまり刺青を入れるということは、社会性のない人間であることを宣言することであり、広い繋がりで相互扶助の恩恵を受けることができなくなることを意味する。
                    何かしらの事故や事件等に遭った時、刺青を入れたということから、受けられるべき権利がはく奪されている。
                    ではそういう人間はどうするのかといえば、結局のところ、権利がはく奪されている人間同士という狭い枠の中でもがくしかない。だがいくらもがいたところで、社会における権利を放棄したところから、二進も三進もいかないということに気付く。
                    それ故、犯罪に手を染めることになる。
                    最初は粋がっているつもりかもしれないが、結末に例外はない。



                    我輩は銀行が嫌いだ。銀行員はもっと嫌いだ。
                    だがこの社会において、銀行は死ぬまで付き合わなければならない組織である。
                    利息はミジンコの涙にもならないが、預けているということで一定の信用を得ることができる。
                    だがそれ以上に重要なのは、問題なく銀行から(決してサラ金ではなく)お金を借りられるかどうか、である。
                    銀行による審査にかかる時間が短ければ短いほど、良い人生を送っていることを意味する。
                    反社会勢力へのにらみは厳しいものがあるが、そこまでではないとしても、根無し草はやはり惨めなものだ。
                    プロレタリアルンペンにいたっては自分の刺青の艶を出すために、はした金で犯罪に手を染めることのみっともなさ。



                    早い時期に仕事をするのが良い。
                    とりわけ世間でいうところの”良い大学”を卒業したら、どんな形態であれ(正社員が理想であるのは変わりないが)どんな業種であれ、とりあえず就職し、最低1年働いてみるのが良い。
                    そこで社会で生きる上で必要なことを習得することができる…電話のとりかた、メール文、お辞儀の仕方などなど。
                    一番みっともないのは、”自分探し”と言って、”良い大学”を出た後、親のすねを齧りつつ、社会に対していっちょまえの言動を繰り返すことだ。
                    冒険をしないのに自称”冒険家”とか、道端で演奏しても相手にされない自称”ミュージシャン”とか、口先で雄大な設定だけを並べ立てるだけの自称”小説家”とか…そういうのは”社会のニート”でしかない。
                    いつか世間を”あ!”と言わせるのが夢だろうが、それを成し遂げるための努力がまったくない。

                    【柏通り魔】 竹井容疑者、自宅に警察が来たとき「チェックメイト!」と叫んでいた

                    この馬鹿と同じだ。



                    会社で出世するのが目的であるならば、体力をつけ、責任を他人に押し付け、美味しいところを見つけて奪う嗅覚を身につけろ。もっとも、一度失敗すると、その会社にはもういられなくなるから、リスクは大きいが。
                    会社はあくまでもライフラインであると割り切るなら、出世しないように努力しなければならない。実はこれが結構大変だ。無能を演じることには、強固な自制心が必要だからだ。有能を演じるのであれば、詐欺師のように記憶力を鍛える必要がある。
                    また仮に頂点に達したとしても、人々が頭を下げるのはその肩書きに対してであって、人徳や実力によるものではないということを常に気を付けていれば、どのような形であれ、頂点から去った後で困難なことに出くわすということはない。
                    あと、既存の組織で頂点に行った者、とりわけそれが上場企業である場合、独立して会社を起こしても失敗する。
                    歯車が自走できるわけないじゃないか。w



                    この世は、自分の思い通りに全くならないという前提で生きよ。
                    もし、なんでもかんでも自分の思い通りになるというのであれば、人類はとっくの昔に絶滅しているよ。
                    全く思うようにならないと気づけば、人生、気楽生きられるものだ。
                    ただ、この世を自分の思い通りにならないことに恨みを募らせている嫉妬深い人間がいるなら、絶対に近寄ってはならない。
                    無視して相手にしないことだ。
                    何故ならその人間は、周囲の人間を自分の思い通りの人間であらねばならないと狂信し、その通りでないとその人間を病的なまでに攻撃するからだ。



                    貧乏すぎるのはよろしくない、身体を壊すからだ。
                    金持ちをめざし、金持ちであることを続けるのもよろしくない、心を壊すからだ。
                    ではどうすればいいのか?
                    足るを知り、人生を楽しめば良いのだ。
                    そうすれば貧しくても苦しくなく、富んでも金に振り回されることもない。
                    100歳まで生きたとして、寝る時間はその1/3、立場と健康からどうにもならない幼児期と老齢期は1/2。
                    となるとまともに動けるのは30年あるかどうか。しかも30年間を全力疾走なぞしたら、途中で倒れてしまう。
                    そう考えると人生において必要なのはなんなのか?
                    骨になる前に、自分がどういう者であるのか、知ればそれだけで余計なことに振り回されずに済む。



                    何かの壁に当たったら、暖かくして寝ろ。
                     
                    日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                    堅気になって一年

                    2013.09.03 Tuesday 21:32
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                      JUGEMテーマ:日記・一般 


                      何度も日記に書いているが、社会に出てから二十年…これほどストレスのない、
                      何かに怯えることもない、仕事においてこれほど充実している日々は今迄経験したことがない。

                      今いる会社に、今いる業界に、今いる職能において、Andy山本を知る人は誰もいない。

                      これがどれほど、天国なのか…。
                      つくづく、ヤクザな世界にいたものだ。

                      人の一挙手一動にいちゃもんをつける暇人もいない。
                      小さなパイの一切れを得ようとするために、他者を貶めることで忠誠心を示すバカもいない。

                      会社が我輩に求めていることは、法務の仕事を遅滞なくミスなく行う事。
                      あと、いくつかの仕事を頼まれればこなす事。
                      目先の1円5円に振り回されない、遠い将来を見据えての戦略を考える事。
                      拙速は徹底的に嫌われ、誰もが納得する品質を生み出すまで時間をかける事。

                      あるのは、確実な”モノ”…それを生み出す”技術”…その一翼を支えるのが、法律。

                      会社は怯えていたかもしれない…あんな世界に入り浸った人間が、馴染むかどうか。
                      我輩も相当怯えていたようだ…ヤクザもんが、足をすっきり洗えるかどうか、と。

                      どれも杞憂だった。

                      正直に言おう。
                      今、毎日が退屈だが、その退屈自体が、ものすごく愛しいのだ。

                      毎朝、同じ時間に起きて(朝5時半)、朝食を作って食べ、背広に着替えて家を出る。
                      ほぼ同じ時間に会社へ到着し、契約書の作成やチェック、法務関係の仕事を中心としたルーチンワークに入る。
                      時々上長や別部署から、法務からやや離れた仕事も入るが、それらもスケジュールを調整して受ける。
                      昼12時きっかりに外へ出て、ランチを摂る。
                      食休みに丸善などに寄って立ち読みする。
                      昼休みが終われば、仕事の続き。
                      ところどころ見逃してた契約書の問題について指摘を受けて修正する。
                      定時になれば、PCの電源を切り、書類などをデスクの中に保管し鍵を閉める。
                      明日やる仕事を整理して、帰る。
                      自宅に戻り、夕食を作って食べ、法律の勉強をやる。
                      ブログ日記を書いて、22時半に就寝。
                      時々夜更かしもするが、0時までには寝るようにしている。
                      この半年間、熟睡度が違う。
                      そのままストンに眠れるし、朝も目覚ましがなる直前に目がパチっと開く。

                      これが一年間。
                      退屈だが、この退屈な生活ほど、我輩にとって素晴らしいものはない。

                      生活リズムも食事も人間関係も何から何まで無茶苦茶だったが刺激的だったあの20年に戻れっと言われたら、我輩は断る。確実に断る。

                      この退屈さにこそ、人間本来の生き方があるのだ。
                      それにやっと我輩は気付いた。



                      とはいえ、毎日がこうであるというものではない。
                      堅気になって一年、記念に万年筆を丸善で買った。

















                      パイロット社エラボー。
                      2万円弱。
                      初めて買った万年筆。
                      その滑らかな書き心地に惚れてしまった。
                      あまりにも気持ち良い…

                      ブログもPCではなく、この万年筆で書きたいぞ、真面目な話。



                      こういう小さいが、何気ないところで、退屈な日常が益々華やぐということだ。

                      日々是好日 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |