ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

師を観る

2018.10.21 Sunday 20:20
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    毎日ではないのだが、時折、ルートを少しばかり変えて通勤する日がある。

    渋谷駅の京王井の頭線の改札口を降り、集団と共に銀座線乗り場へ向こう。

    右に巨大な岡本太郎翁の遺作を見上げ、小さいエスカレータに乗ると正面に1時間ごとに、やや大げさとも感じられなくもないチャイムが鳴る壁画がある。

    そこを左に曲がると、いつもの窓枠の所に、その男はいる。

     

     

     

     

     

     

     

    年齢はわからない。

    ホームレスはその置かれている環境から、老け方が激しくなるもので、チラっと見れば還暦近いのかもしれないが、そのような条件があるとしたら、意外と我輩よりも一回り、若いのかもしれない。

     

    いつ頃からなのか、覚えている範囲では今年の春ごろから、その男は毎朝、同じ所に座っていた。

    他のホームレスと違い、朝からアルコールを痛飲しているわけではない。

    会社まで歩みを進める通勤客をじろじろ見たり、ちょっかいをかけるわけではない。いや、逆に通行の邪魔にならないように、へこんだセメント製の窓格子に、器用に座りこんで外をぼうっと観ている。

     

    一度、警察官が職務質問をしている光景を見かけたが、反抗的な対応はせず、むしろ警察官のほうが色々と気にかけて、いたわるように話しかけていたのが印象にある。自分に何かの非があるのかを十分に知った上での、ややフワフワとした世間離れしたやり取りが、なんとはなしに耳に入った。

     

    猛暑の折、特有の臭いを前を通る際に感じ取ることはなかった。

    おそらくどこかの施設に入って、最低限の着替えと入浴サービスを受けているような感じであった。

    少し肌寒くなってきた昨今、我輩の知る、あの独特の「枯れ葉」に似た埃っぽい空気を少し、鼻腔で感じることができたが、若い頃に面白半分で入った大阪のドヤ街や、バスを乗り間違えてソウルの貧民窟「タルトンネ」等で充満してた排泄物の爆弾ような不快さは、その男からは発してはいなかった。

     

    何がその男をこういう状況にしたのか、興味は全くない。

    ただ、この激しく動く「社会」に、機会があれば「戻りたい」とする最低限の「気遣い」をにじみ出してることに、少し面白いと感じている。

     

     

     

    数週間前のある朝、いつものように通勤ルートを変え、渋谷駅までやってきた。

    そして同じように、銀座線の改札口を目指していると、いつものようにその男は、窓枠の指定席に座っていた。

     

    しかし、不思議なことをしていた。

     

     

     

    何か「漫画」を描いているのだ。

     

     

     

    正確に言えば、「漫画」ではない。

    B4サイズのプリントに8個のコマ枠があり、その男は、お世辞にも巧いとは決して言えない女の子のキャラを懸命に描いていた。

    想像するに漫画の通信教育のようなものか、そのフォームの中を、その男は懸命に「課題」ともいえるかもしれない練習をしていた。

     

    物好きな我輩は、次の朝も同じルートで出勤すると、その男は今度は、似たようなフォームの中に、のっぺりとした女の子のキャラを何体も描いてる最中だった。

     

    別の日には、鉛筆でネームっぽいものを、通信教育らしいフォームの中で、書きなぐっていた。

     

    ある日には、B4の紙いっぱいに、いろんなキャラクターの下絵を描いていた。チラっと見ただけなので、何なのかはわからないが、学園モノっぽい、そんな感じのものだった。

     

    そして先週金曜日、初めて観た時と同じ8コマのフォームの中に、女の子キャラの同じ横顔を、漢字ドリルのように描いてた。

     

     

     

    長く無為に時間を過ごすうちに、漫画を描きたいと思ったのだろうか。

     

    あるいは俗っぽいが、一発逆転をはかろうとプロの漫画家を目指そうと考えているのだろうか。

     

    警察官が来ても、ここで人物観察をして漫画の練習をしている、という言い訳をでっちあげようとしているのか。

     

    そんなことはどうでもよい。

    理由はなんでもよい。

    我輩は毎朝、懸命に「ナニカ」を描こうとするその男の前を通るたびに、不思議な気持ちにとらわれた。

    「始める」のに「遅い」ということはない。

    通信教育をやっても、巧くなるということは決していない。こればかりは才能がモノを言うのを、我輩はよく知っている。

    それでもなお、その男は、毎朝そこで、「違う自分」を求めて、漫画を描こうとしている。

     

    単調な毎日に拘泥している我輩にとって、足下に及ばないことだ。

    仕事ではなくルーチンとしての出勤の惰性の中に流されている我が身を恥じ入る。

    我輩はその男には、声をかけるつもりはない。

    ただ、その男が示すあの無心さに、師を観てとりたい。

     

     

     

    明日も、いることを祈ろう。

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    「老害」とは

    2018.10.08 Monday 11:30
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      JUGEMテーマ:日記・一般

       

      良き老人になろうと、いろいろと観察したりしている。

      ある日、ある交差点での出来事。

      明らかに赤信号なのに、80過ぎた(それともそういう顔なのか)がじj...老人が自転車で渡ろうとしてた。

      そこにトラックが入ってきたが、急停止。事なきを得た。

      当然、怒鳴りあいが始まったわけだが、その老人の言語が全く不明(逆ギレなのか、それとも何かの病気なのか)。

      とうとう後輪を蹴り始めたので、運転手がキレて、その老人の首根っこを捕まえ、自転車ごと歩道に投げ入れる(柔道の心得があるような感じだった)。

      せいせいしたか、そのままトラックに乗り込み、走り去る。

       

      歩道で人語を超えた何かを叫びながら、その老人、自転車に乗り、トラックを追いかけ始めたが、前方で別の車に接触しそこで同じことが...

       

       

       

      信号が赤かそれに転じようとする時、普通の人は、「渡れるか渡れないか」と判断する。

       

      全員ではないが、高齢者はもしかして、「渡りたい」の一択しかないのだろうか?

       

      あのコントのような出来事は極端かもしれないが、日常においても良く見かけてしまう。

       

       

      コンビニで欲しいタバコの銘柄を言わず、店員が質問すると、「俺の欲しいタバコだ!」と喚き、何も買わずに出ていく光景は、週に数回、会社近くのコンビニで見かける(今いる会社の周囲、都内なのに「限界集落」なんよw)。

      浅草寺のある光景を撮ろうとしゃがんだら、後ろから老人が「俺の前で停まるな!」と喚いて蹴ってきた(振り向き立ち上がったら、身長140cmもない感じのジジイだったが、なんかそのまま猛スピードで逃げてった)ことがあった。

      近所の安売りスーパーで、某大手総合商社の管理職を定年退職した高齢者が、毎回レジ係に怒鳴り散らしているが、その理由にはパターンがあるそうで、【俺様の買い物にはレジ袋3枚必ず出せ、覚えろ】【お辞儀は俺様に向かって90度最敬礼しろ】【釣銭はトレーにきちんと並べて説明しろ】...ヤバイ、目の前にいたら、今度こそ殴りそうだ。

       

       

      要するに、「自分が求めていることを世の中が従わなければならない」という思考になっているが、その理由が何であるのか。

      現役だった頃、大手企業の幹部だったり、社会的地位が高い人にこの傾向が多いと言う理由はわからなくもないが、小金井市で資源泥棒としている軽トラ乞食の様子を見ると、一概にそうだと肯定することはできない。

      『老い先短いからあわてている』という意見もある。うん、前述のコンビニの件はそれに当てはまるかもしれないが、これも完璧な答えだとも言い難い。

      もうとっくに引退している人間があがりこんで何かを喚き散らかすというのは良く聞かれる。

      会社組織などで、「代表取締役会長最高顧問」というワケのわからない肩書の腰が90度にひん曲がったが絶対権力者として現場を無視することをドカドカとやりまくる。

       

       

      理由や原因はどうであれば、赤信号なのに「渡れるか渡れないか」を否定し、「俺様は渡りたい」「渡らせないほうが間違っている」という思考が、老害なのだな。

      巷で問題となっている「暴力老人」は、自分の立場を客観視できない、『こうしたらこうなる』という判断ができない、つまり人生において必要な「想像力」が欠落しているということになる。

      社会的地位をある程度築き上げた人は、この「想像力」に優れた面があり、老いてもそれと維持できるかが重要となるが、かなりの人が引退すると、この能力を一気に失うように感じられる。

      大企業の幹部になった人は、強い緊張感をもって「想像力」を駆使したであろうが、バッジも名刺も失うと同時に緊張感で支えてたこの能力を失うように見られる。

       

      逆に、環境や自分をより高みに上げようとせず、自分の人生そのものを楽しもうというとするならば、「想像力」は無理やり発現させるものではなく、自然体で動くものであり、どのような環境でもどのような年齢になっても、我輩が知る限りでは穏やかで愛される高齢者になっている。

      呼吸するかのように、「想像力」を自分のものにしているから、「渡れるか渡れないか」どころか、「子供がいる、赤信号は渡らないことを手本で見せなければ」と考えるほどまでに、その能力は高みに達している。

       

       

       

      喜劇王チャップリンは多くの名言を残したが、

       

      All it takes is courage, imagination… and a little dough.

       

      人生において必要なのは、勇気と想像力、そして少しばかりのお金です。

       

      ほど、広く知られた名言はなかろう。

      この「想像力」とは、何かを創ろうとする力ではなく、「こうしたらダメだよ」という発展的な「良心」とも同義だといえる。

      老害だけではない。

      「こういうことをしたら、自分にもブーメランが返ってくる」というダブスタなどについても、「想像力」がものを言う。

      よく勘違いされるが、「想像力」に最も必要なことは「記憶力」だ。

      低学年で中途半端な外国語教育をやるよりも、正しい日本語教育を徹底すべきだと書いたことがあったが、その中で和歌、詩、俳句、日本文学一節の暗誦が必須だ。これらの蓄積によって、正しい日本語が使えるようになり、その自信からコミュニケーション能力が高まるのだ。記憶した日本語の手本をもとに、今度はそこから自分なりの言語構築を自由自在に行える、つまり「想像力」が自然と培われるようになる。

       

       

       

      「老害」にならない方法は、「想像力」が自然と備わっているように常日頃生きることだ。

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      なんか全部Twitterにブツブツ喚いてるせいか

      2018.09.30 Sunday 17:52
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        このブログ、更新しづらくね?

         

        それを言っちゃ、身も蓋もないかw

        でも考えてみたら、出すゲームに関して「宣伝」になるのかもしれないということで始めたブログであったりするが、こうも毎日が同じことの繰り返しだと、存在意義が...。

        とはいえ、もう20年以上も続けていることでもあるし、毎年ドメイン登録とかこのブログサービスへの利用費とか、たいした金額ではないが払い続けてきている「もったいなさ(?)」というのがある。

        あれと同じ…携帯電話キャリア。

        MNBが一時期取りざたされてたけど、ドコモをこれまた20年以上使い続けてきたこともあって、ポイントとかステージとか(かなり劣悪な条件になったりはしたけど)あって、そこから移し替えるのがどうにも…という、まあ要するに貧乏性のようなものか。

         

        更新されていないけど、Twitterのほうでいろいろと馬鹿を喚いてるので、そちらで生存確認しておくれ。

         

         

         

        てか、何か前向きに動きがあれば、またこのブログ、本格再開する。

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        911

        2018.09.11 Tuesday 10:25
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          障碍者雇用について一言

          2018.09.03 Monday 15:25
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            JUGEMテーマ:ニュース

             

             

            テレビ朝日、障害者募集ページの『検索回避のタグ』の件でとんでもない言い訳

            「障害者雇用水増しは安倍の隠蔽体質」と批判した玉木雄一郎、国民民主党は雇用0人(行政指導)で謝罪

             

             

            省庁や裁判所だけでなく、それを政権批判につなげようとしてた連中も、こんなんだから嘲笑しか出てこない。

            ただ障害者である我輩だから言えるのだが、企業が障害者を雇用したくないのははっきりしているし、ましてや公的機関や政党がまともに雇用したいと思うことは、一片たりともない。

             

            理由?

            簡単。

            面倒だから。

            10円5円さえ、喉から手が出るくらいに欲しがってる企業、おかしなエリート意識があって健常者ではない者に対する軽蔑の念、それがひしひしとあるわけだし、障害者とは接したくないという本音が、ヒシヒシと感じられる。

            綺麗ごとは一切存在しない。

            表面だけいい子ちゃんぶって、公器性をアピールするが、断言しても良い、どこの企業、団体、省庁、政党、一切合切が普通に雇用したいという気持ちは存在しない。

            必要数雇用し、たとえば簡単なスロープを取り付けたり、車いす用のトイレを設置するより、納付金を支払ったほうが損益分岐点の面から「お得」というのであれば、そうしたほうが良いという会社なら、いくつか知ってるし、うまい逃げ道だなとは思う。

            健常者が堂々とシルバーシートに座ってる癖に、その席に障害者が座っているだけで隣に座ろうとしない場面を、我輩は毎回観てきた。

            綺麗ごとを並べるのはやめておけ。

            日本において、障害者を同列に扱う光景は見当たらない。

             

            だから逆に言えば、障害者側も堂々としたほうが良い。

            相手がこちらを同列に見ないのであれば、こちらも相手を同列に見る必要はないし、同じように見下して良い。

             

            障碍者雇用が厳しいと昨今叫ばれているが、募集要項を見たら、「おまえら、こちらを完全に舐めてるだろ?」と思ってしまう。

            なぜ正社員雇用にしない。

            なぜ昇格に関して条件を設ける。

            なぜ給与が平均の半分しかない。

            さっき書いたように、改装費に回すため、給与を減らしているのかと勘繰りたくなる。

            それぞれの障害に対応したサポートは、難しいことではない。費用に問題があるとすれば、国や自治体からの補助金がある。指導や仕事の仕方に不安があれば、ハローワーク等がそのサポートをしてくれる。出勤だけではなく、自宅勤務できる体制は、会社全体の将来にも役立つものだ。

             

            働きたいという気持ちを最初から制限させる条件の会社に応募する必要はない。

            逆に「なんでこんな募集要項なのだ、少しのサポートで、私は健常者よりも良い仕事ができます」と主張すべきだ。そしてその言葉に偽りがないように働くことだ。

             

             

             

            逆にいっそ、「障碍者不要」と宣言する企業団体のほうが、信用できる。逆説であるが、嘘がないからだ。

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            ちょくちょくと

            2018.09.02 Sunday 01:18
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              JUGEMテーマ:漫画/アニメ

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              ツィッター上で、ガルパンの合同同人誌の呼びかけが、蒼野りまき様より半年ほど前にあった。

              コンテンツのファンだったこともあり、知己はなかったが申し込み、夏コミの原稿より早めに2ページほどのものを納めた。

               

              今月23日にその即売会が開催される

               

              いつものサークルだけでなく、こういう「いっしょにどう?」という呼びかけがあったら、ちょくちょくと参加していきたい。

              なかなか、このような機会と巡り合うことができないのが、少しばかり悩みの種ではあるが。

              趣味として描くことができることのうれしさを思い出させてくれることへの、御礼がしたい。

              そして、一人でも多くの、漫画を描くことが好きな人たちとお会いできればと思っている。

               

              趣味のために時間をかけること、そして同じ趣味の人たちと交流できること。

              KLの漫画美術館で、館長に

               

              ”アマチュアコミックライター”

               

              と自己紹介したが、直ぐに理解していただいた。

              世界でも使える概念であり、”肩書”だ。

              ”アマチュア”であることは、”気持ちの良い”ものだと気付いた。

               

               

               

              で、いつものノリの漫画だけどね。

               

               

               

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              40代最後の年

              2018.09.01 Saturday 22:09
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                今年が「平成最後の年」であるので、それと比較するとあまりにも小さいことである。

                にしても、ほんと、年齢喰ったなあ...と思うよ、こう書くと。

                ブログを始めて25年くらいになったか、はじめはゲームの宣伝を兼ねてやればいいかな…と思ってたが、次第に文章を書く練習の場、脳みそを整理する場という感じになってきた。

                途中で、ツィッターが登場したことで、生存確認があちらでできるようになり、完全過疎状態になってたが、会社での仕事も随分と暇になったことだし、またこちらでいろいろブツクサを書くのも悪くないかもしれん。

                 

                にしても、この年齢だ。

                結婚はもはや不可能。てか、我輩には不向きなことだ。

                どっかのサイトで、結婚できず、子供ができず、週末をみじめに過ごすのは嫌じゃ!と叫んでたのがいたが、ありゃ文字通りの「ホームラン級の馬鹿」ってヤツだ。

                他人と比較して、自分は上か下かって、日本海の向こうの半島の連中のような恥ずかしいことをすんじゃねえ。

                てか、幸福かみじめか、決めるのはどこのどいつだ?

                自分だろ?

                どうしても比較しろってんなら、我輩からすると、赤の他人と結婚して、自分の悍ましい遺伝子をコピーしたガキが目の前にいるだけで、ストレスマックスで不幸のズンドコってものだ。下げたくもない頭を下げること自体が、自己ハラスメントってものだし、肩書が上がって給与が増えたところで自分のモノにはならないし、50歳過ぎたら役員にでもならなければはぎ取られるものだ。

                そういう管理職が、わんさか、今の会社にいて、あ、こりゃここで出世するのは意味がねーな…と。

                 

                いずれにしても、死ぬまで独り身だ。

                30歳の時から、毎年正月に遺書を書いているが、本格的な終活について考える時期に来ている。

                定年後の生活とかと紐づければ色々と捗るものだ。

                 

                定年後の再雇用制度がある会社だが、週に2、3日出れば良い感じにしよう。その頃には自宅勤務も整備され..........てねえだろうな、上場していても、あの根っこまでゴリゴリの町工場。

                でても仕事はしないようにしよう…てか、会社のために何かしようという気持ちは、さらさらない。

                色々と裏切られたし、ハラスメントは横行しているし、障害者を差別する、そんな古臭い体制だからねえ。

                 

                その代わり、自由な時間は自分のために使おう。

                ただ、いきなり違うことをするつもりはない。

                今やってることの繋がりであれば、体力が落ちてもなんとかできるだろう。

                 

                ドライブは好きだが、オートキャンプはするつもりはない。

                「ゆるキャン△」に毒されているが、秋か冬にコーヒーをどっかの森か湖畔で淹れて飲みたい、そんな小旅行でもしたいものだ。

                海外へのプチ貧乏旅行は相変わらず続けられる。シーズンオフであれば、台北かKLに拠点を置き、そこからLCCで安くあちらこちらへ行ける。いっそ、現地にアパート一室を借りるというのも、ありかもしれん。

                 

                死んだ際には、民生委員と弁護士に遺産の処分、葬儀の仕方、遺灰を納める墓地とかお願いすることになろう。

                我輩の骨を納める場所について、数か所選択肢に上げているが、もう少し年月が過ぎれば、そういう永代なんたらも増えるだろう。

                 

                死ぬ準備をするのは早すぎるかって?

                我輩、もう何度も心臓が止まって、あの世を行ったり来たりした人間だぜ?

                いつになるかはわからんが、こちらの世で周囲に迷惑をかけたくないで、すっきりとして逝きたいものだよ。

                最後に勤めた五反田のブラックゲーム会社を辞める際に、あらゆる縁を切ったから、今の解放感がある。

                面倒なことは後に残すべきではない。

                独身であればなおさらのことだ。

                 

                ああ、そうだ。

                年老い方も少しずつ、自分なりのものがわかってきた。

                 

                絶対にユニクロとかの量販服は着ない。

                今ある服装を組み合わせて、上手に着こなせるようにする。

                背筋は常にまっすぐ。

                ぶつかりそうになったら、必ず避ける。

                メガネレンズは常に磨く。

                加齢臭防止のため、風呂では耳の後ろなどを良く洗う。

                静かにゆったりと笑顔で。

                できれば月に2回、理容室へ行く。

                シャツは綺麗に。

                モノを減らしていく。

                話しかけれたら、内容に問題がない限り、誠実にこたえる。

                求められない限り、決して助け(と思い込んでいる場合が多々ある)ない。

                「若い頃、自分ならこうするんだ!」と喚かない(老害にならない)。

                 

                 

                 

                耳が遠くなってきたら、素直に「ごめんなさい、もう少し大きくおっしゃってください」と言える、爺になりたいものだな。

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                ブラック企業を根本から無くす方法?

                2018.08.17 Friday 15:57
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                  チラチラと日記やらTwitterやらで書いてたりして、ご周知の通り、海外へのプチ貧乏旅行が大好きだ。

                  下川裕治翁のような、年齢不相応のハードなものではなく、ある一定の線を引き、そのボーダーの前後から金を出して、旅行を楽しむというものだ。

                  安さだけを求めて、ストレスがたまるようでは、それは旅行ではなく、ただの苦行だ。

                  我輩の線引きは、安いか否かのランクを3番くらいに落としたところで...

                   

                  宿泊選びのボーダー

                  • 個室であること
                  • シャワーやトイレは共同で良い
                  • 冷房必須(自分で調整しなくとも良い)
                  • 窓はなくても良い(どうせ寝るだけ)
                  • できればテレビがあればうれしい(現地の言葉のニュアンスに慣れるため)
                  • 可能な限り公共機関の駅に近いこと

                  移動方法のボーダー

                  • 安さ優先。しかし時間がどうしても足りない場合は、多少高くても速い手段を選ぶ
                  • バスか電車の選択の場合、距離に応じて
                  • インターネットで事前予約できるか
                  • GRAB、Uber

                  食事のボーダー

                  • 現地住民と同じものを食べる
                  • 一週間以上の旅行の場合、現地の食事にこだわる必要はない
                  • 昼食の場合、ランチメニュー以外に手を出すな(これについていつか説明したいw)
                  • 行列の長い店は正義
                  • 世界的チェーンも悪くはない

                   

                  まあ、色々あるわけだが、結局のところ我輩がこういう旅行をする最大の理由は、「外の空気」を楽しんで、疲れを癒したいというものである。

                  現地で求めるものは、日本と同じ食事やサービスではない。

                  日本とは全く違うものを楽しむというものだ。

                  日本でこのような対応されたら、余裕の無い人が激怒し、クレーマーと化するような、そんな雰囲気が好きなのだ。

                   

                  「ゆるさ」が好きなのだ。

                   

                   

                   

                  台湾や東南アジアに限ったことではないが、我輩が心から「ゆるむ」行動意識がある。

                   

                  たとえば高級デパートに入ったとしよう。

                  日本の場合、店員が直立不動で深々と「いらっしゃいませ、何かお探しでございますか」という感じで対応してくる。

                  ところが海外の行く先々で店員達は

                   

                  • 客が入ってもスマホを弄繰り回している
                  • こちらから声をかけない限りやってこない
                  • というか、声をかけても、『ちょっと待ってて』とスマホを弄くった後で対応
                  • 買い物に来たというより、『最近、調子どう?』という感じの会話
                  • 鼻歌を歌いながら、商品を大雑把に包んでくれる

                   

                  日本なら炎上モノであるが、どうやらこれが「世界標準」のようだ。

                  ちなみに怪しげなモノを売る屋台ではなく、ちゃんとした現地高級デパートでもこんな感じだ。

                   

                   

                   

                  このいい加減さを見習えば、もしかしたら日本におけるブラック企業問題も、解決できるのではないかと思う。

                   

                  自分もいい加減にするから、そちらもいい加減にしていいよ...逆に従来通りのカチカチのサービス対応の店は、消費税とは別に、「まじめに対応のサービス費」として20%くらい追加請求したり...

                   

                  まあ、無理だわな。

                  長らく、自他に対して厳しくすることが美徳とされてきたから。

                  そしてそれが、日本の「おもてなし」として、世界的にブランド化しているのも納得。

                   

                   

                   

                  無論、金に糸目をつけない海外旅行であれば、日本以上の「おもてなし」を受けられる。

                  ただ、そういうサービスを受けられると、逆にこちらも「ありがとう」という気持ちになって、疲れてしまう。

                  そこそこのボーダーでのプチ貧乏海外旅行の場合だと、そういうものは一切ない。

                  だからやめられない。

                   

                   

                   

                  にしても、シンガポールのロビンソンデパートでもあんな感じだったのには驚いたがw

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                  「打ち水」って、本来はこうじゃなかったっけ?

                  2018.07.28 Saturday 23:02
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                    ニュースかどっかで、都知事が打ち水作戦を止めるとかというのがあった。

                    別の自治体でも、意味がないというのもあったような記憶がある。

                    そういえば秋葉原で、大掛かりな打ち水をどーのこーのするNPOがあったが、最近ちっともその後の活動について聞かれない。

                     

                    てかさ、我輩の記憶している範囲では、打ち水って、こんなんだっけ?…と思ったりする。

                    地面に水をまけば涼しくなるって、時と場合によるが、熱く焼けたアスファルトの上に水をまけば水蒸気がたちこもり、通行人を蒸し焼きにするだけだろ、バカなの死ぬの?…と思ったりする。

                     

                    ちょっとこんな絵を描いた。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    「打ち水」が行って良いのは、たとえば京都などのような古い町並み。

                    長屋というような建物が続いている。

                    庭の扉と玄関の扉(あるいは窓とか)を開けると、一直線に空気の流れの道ができる。

                     

                    朝か晩の比較的涼しい時、道路だけに打ち水をする。

                    すると熱い水蒸気が立ち上がるが、同時にその勢いが空気が動き始める。

                    その勢いが建物内の空気を庭まで押し流れることで、涼しさを感じることができる。

                    風鈴は「空気が流れてますよ」ということを知らせるので、気分的な相乗効果が期待できる。

                     

                     

                     

                    「打ち水」って、こうじゃなかった?

                     

                    間違ってたらごめん。

                    打ち水自体で、その場所が涼しくなるのではなく、打ち水する場所としない場所を明確にし、空気が流れるようにして、涼をとるようにするというのではなかったのか?

                    アスファルトだらけ、密閉空間の建物が乱立している中で、なんでも水を撒けば、そりゃあ暑苦しくなるだけだろうに。

                    ただの水の無駄遣いになってしまう。

                     

                    今の会社はかつての下町で、多数のタワマンが建っているが、あんなところで水を撒いても、水蒸気が澱み留まるだけで、涼しくなるわけないだろう。

                    流れを作るのが「打ち水」だろうに。

                     

                     

                     

                    2020五輪で、選手から死者が出るぞ、真面目な話。

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                    上半身裸で、Sarombを履きたいという状況

                    2018.07.16 Monday 14:50
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                      以前、チラっと紹介したことのある、マレーシアが誇る漫画家LAT翁の代表作「カンポンボーイ」...そのアニメ。

                       

                       

                      主人公のマット君はじめ、父親や友人たちが履いてるスカートのようなものが「saromb(サロン)」。

                      イスラームで失礼にならないように、上半身には何かを着たりするが、漫画の中のカンポン(村)では裸のままだったりする。

                      暑いから。

                      そのまま川まで行き、沐浴するから。

                       

                      今度、KLに行ったら、買うんだ...

                      Jalan Tuanku Abdul Rahman並びにあるNAGOYAで買うんだ...

                      てか、日本は場合によっては、マレーシア式にしたほうがいいかもしれないんだ...

                      建物を高床式にして、涼しい恰好にして、午後3時に仕事を終えてさーw

                       

                       

                      それくらい、暑さにやられているので、日記が意味をなしていない(キュウ

                       

                      馬來西亞南遊記 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |