ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

心臓にとって、口腔が一番怖い場所ということ

2017.10.16 Monday 13:43
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    JUGEMテーマ:健康

     

    この一週間、おかしな微熱が続き、会社での業務はルーチン化してるはずなのに、どうしようもない凡ミスが多くなって、上司がすごく心配してくれた。

    風邪ではない。

    初期段階であれば蒸した青森県産福地ニンニク一個を食べれば治るはずだが、それが効かない(周囲に臭さを撒き散らかしてすまん)。

    というか、嫌な疲労感がある。それも5年前に感じたのと同じような、身体が重く感じられるというアレだ。

    となると結論からすると心臓である。

    ICDのモニターを管理している病院に問い合わせると、少し弱まっているという連絡が。

    いきなり寒くなったからではないかとも言われたが、いや、これはちょっと違う。

     

    日記にあまり書いてこなかったが、我輩の右下奥歯に歯周病、更にそれよりもタチの悪い歯根嚢胞が発生していた。

    数年前から歯が浮くような違和感を覚え、噛む強烈な痛みが出る。

    毎日丁寧に歯を磨いているのにもかかわらず、自分でも嗅ぎ取れるおかしな臭い(膿の腐臭だった)。

    最初は、毎月歯石除去のために通ってた歯医者でそれを相談したが、腕が根本的に悪いのか、この病気を治す機材がないのか(両方だろうな)、怖気ついた回答しかなかった。

    そこで近くの新しい歯医者(出身大学を自慢しているところもあるのだが、腕は確かで、設備も最新式)で診てもらったら、この病名をはじめて告げられた。

     

     「神経を抜いて、歯を残すという選択肢もありますが、根元が折れているんですよ」

     

    となると、抜歯しかないわけだが、心臓のことを考えて、病院の口腔外科で…ということに。

    一応、数カ月間かけて神経を抜いて銀を被せたが、やはり違和感が消えず、ぐらつきが激しく、絶え間なく膿が出てくるという状態。

    そして、その膿が臭くなると、決まって軽い心臓発作が起こってしまうということも発見した。

    ちょっとしたバロメーターだが、これほどうれしくない目安はないぞ。w

     

    最近になって、口腔と全身の健康の繋がりについて、いろいろと言われるようになった。

    まさに我輩が、そのケースとなってる。

    単に飲食物が最初に放り込まれる場所というものではない。

    歯茎のわずかな腫れや傷ほど恐ろしいものはない。

    歯根嚢胞もまら、口腔内いっぱいに広がる細菌が入り込む入口のようなもので、わずかなものでも心臓にこびりつくと、心膜炎等が発生してしまう。そうなると我輩は、毎年元旦に更新している遺書が効力発揮するというものだ。

     

    心臓に限ったものではない。

    口腔については、毎月は大げさであっても、やはり年に数回は通うべきである。

    歯医者と口腔外科は厳密にいえば違うが、わずかな変化を見分けられるスペシャリストであり、かかりつけ医の一つとして日常生活に加えるべきだ(他に薬剤師とかも)。

    で、何かおかしいことがあれば、即刻、文字通り「根こそぎ」治すこと。

     

     

     

    んで、先ほど病院の口腔外科でいつも通り、心電図を取り付けられ、抜歯&歯根嚢胞の奥底の清掃が行われたわけだが…

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    画素数を粗くして、少しぼやかしたけど、エグイねえ…

    これが歯根嚢胞の正体。

    膿がほとんど塊と化し、1兌紊離汽ぅ困捻歯の根っこに棲息してたということ…

     

    「いやあ…山本さん、よく今まで我慢してましたね」

     

    と外科医が呆れながら説明。

     

    「かなり奥底まで溶けてて、もう少し遅ければ、顎の手術どころか、心膜炎になるかもしれませんでしたよ」

     

    それにしても、原因はなんだったんだろうか。

    自慢ではないが、我輩は虫歯がないというのが自慢であったが、歯周病はそういう虫歯のない人ほど罹りやすいという話を聞いたことがある。

    あるいは心臓病からこの種の病気になったのか、あるいは歯周病から心臓病になったのか、鶏卵と同じ堂々巡りになりそうだ。

     

     

     

    抗生物質と沈痛剤を飲んで、しばらく安静。しかし、口臭はなくなったのを自覚できる。早く抜けばよかったな。

     

    ブルガダ症候群とICD | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

    あひょー

    2017.10.07 Saturday 17:12
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      あひょひょひょひょー♪

      買っちゃったー買っちゃたー

      7万円するハリスツィードのジャケットを、衝動買いしてしもーたー♪

      あひょーひょーひょー♪

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

       

      台湾まで2回遊びに行ける金額が、このジャケットに集約ー♪

      もう反省するとかのレベルじゃねー♪

       

      いや、あのな…冬に向けて、もう背広はやめて、ビジカジに統一しようといつもの背広屋に行ったわけよ。

      毎晩毎晩、アイロンをかけるのが面倒だってことで、ズボンについてはチノパンとかそんなものにしようと行ったわけよ。

       

      そしたら、サイズぴったりのこのじゃけっとがめのまえにとびこんできてああああうさvsあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!)

       

       

       

       

      まあ、いいよね、こんなくだらない日記を書いても。

      いやあ…いいね、やはりこれは。

      パジャマとしても着たいくらいだよ。

       

       

       

      というわけで、なんのオチもなく。

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      この単調さを愛しく感じる

      2017.10.01 Sunday 00:20
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        5年ぶりであろうか、昔、いろいろとご迷惑をかけたゲーム会社の社長とお会いした。

        ゲームのノベルティに関する、昔、我輩が描いた原稿が出てきたのだが、返送しますか…ということであるが、挨拶をしたいと思い、受け取りに行くことにした。

        会社を移転するということで、大掃除をしている最中に発見されたのであろう。

        新宿でお土産を買い、久々にその会社のある街へ。

        土曜日だから通用門から入る。

        そうなんだな、この会社のあるゲームが大好きで仕方なかったっけ。

         

        久々にお会いし、いろいろとお話し。

        その中で、今のカタギな生活はどうなのだと訊かれ、ふと、考えてしまった。

         

        朝の9時に出社し、人事のルーチン(「仕事」ではない、あくまでも「ルーチン」だ。我輩にとっての「仕事」は何もない所から何かを創り出すことであり、それ以外は「ルーチン」ワークでしかない)をこなし、午後6時きっかりに帰る。

        残業代のない会社であるから、ダラダラと会社で過ごすような馬鹿はしない。

        やりがいを感じる「ルーチン」なぞ存在しないし、そもそも出世して、会社のためにどうこうするという気持ちはさらさらない。

        毎月、きちんと一人で暮らせ、貯金できる給与がもらえる。

        健康保険で安心して心臓の治療を受けられる。

        土日祝日は休む。

        夏休みがあって、年末年始休むことができる。

        なぜかメーデーも休められる、おかげでGWは長い。

        有休も申請すれば理由なしで受理される。同業界において、消化率が一位であるというのも頷ける。

         

        気付くと、一週間が終わる。

         

        単調な日々。

        このまま定年まで、この「ルーチン」は繰り返されることになるだろう。

         

        ゲーム業界に戻るつもりはないし、戻るべき場所もない。

        過去に数社から、来てくれないかというお誘いがあったりしたが、全部が全部、そのあまりの胡散臭さに断った。

        頭数合わせ、あるいはただ、使い捨てという魂胆が見え見えだった。

         

         

         

        心臓病のために、引退しなければならないということに、慟哭した。

        あの業界で死ぬことが本望だったと、真剣に思った。

        だが離れてから5年。

        たとえ「ルーチン」であっても、今の会社から色んなことを「求められている」ことにわずかな慰めがあり、それが日々の繰り返しの中で積み重なっていくと、この単調な生活があまりにも愛しく感じられるようになった。

         

         

        比較するのは馬鹿げてるが、テレビ映画「バンドオブブラザーズ」のウィンターズ中尉が、ノルマンディ作戦が成功した日の夜の独白が、切なさと共に、ああ、我輩は今この日々こそが、彼の神と自分自身に約束と同じことなのだろうかと、思ってしまう。

        尤も歴史では、中尉は朝鮮戦争にも出征したが。

         

         

         

        戻ることは、やはり無い。

        そもそも真摯に求められるということはないし、我輩が求めたとしても、場所が存在するわけはない。

        命は惜しくはないが、あの状況では犬死になってしまう。

        戻ることに対して説得する相手がいないということであっても、だ。

        結婚するわけでもない。代は我輩で潰える。

        死んだらそのまま忘れられる将来を含めて、この静かで単調な日々が今の我輩の世界だ。

         

         

        我輩がもし戻るとしたら、誰のためでもない、単に我輩が読みたい、遊びたい、楽しみたい、そんなコンテンツを創る時だ。

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        死者が親友となる時

        2017.09.24 Sunday 21:05
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          JUGEMテーマ:映画

           

          1987年に亡くなった神話学者の大家、ジョーゼフ・キャンベル。

          彼が死の前年まで、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を通して、神話とは何か、神話に登場する人物たちとはどういうものなのか、神話が現代人に対して問いかけるものは何か、そしてその力とは何かについて述べるドキュメンタリーがあり、死後、一冊の本にまとめられた。

           

           

           

           

          神話をその通りに信じることは21世紀において不可能であるし、神話の一言一句を狂信的に信じることは、人間が動物と峻厳に分け隔つ理性に背くことだ。

          だがその中で詠われる物語を通して、人間としてどのように生きるか、決断に迫られた場合に何をすべきかについての力を得ることができる。

          キャンベル氏はこう述べた:

           

          We have not even to risk the adventure alone for the heroes of all time have gone before us.

          The labyrinth is thoroughly known ... we have only to follow the thread of the hero path.

          And where we had thought to find an abomination we shall find a God.

          And where we had thought to slay another we shall slay ourselves.

          Where we had thought to travel outwards we shall come to the center of our own existence.

          And where we had thought to be alone we shall be with all the world.

           

          我々は一人で冒険の危機に臆することはない。なぜなら英雄たちが、既に我々の先を行き、道筋を作ってくれたからだ。

          迷宮の道順は皆に示されている…我々はただ、彼らの通った道を歩めば良いだけなのだ。

          忌まわしきことを見出せねばならない時、我々は神を見出さねばならない。

          他者を打倒せねばと考える時、自己犠牲の心が生まれる。

          遠く離れて旅立つ時こそ、我々は世界の中心にいることを知る。

          そして孤独に苛まれている時こそ、世界は我々と共にあるのだ。

           

           

           

          神話に限らず、歴史、伝説、伝承、小説でもよい、童話も素敵かもしれない…それらの生きていない存在、極言すればそこに登場する「死者」達を知り、学び、真似をし、対話をするようになり、心の底からたとえ空想の存在であったとしても、親友だと思えば、人生は随分と楽で、美しく楽しいものではなかろうか。

          ただ行ったきりではただの引きこもり、現実と向き合えない臆病者になってしまう。

           

          こちらは有名であろう、ミヒャエル・エンデ。童話作家。映画でも知られているから、あえて説明はしない。

          映画でのイメージばかりが先行して、原作を読まないと理解できない「果てしない物語」。

          主人公バスチアンがアトレーユ等のキャラクターを通して、ファンタージェンを救うという話についても割愛。

          とはいえ、原作と映画はかなり違うので原作に絞りたい。

          前半ではファンタージェンを救い、後半ではバスチアンがその世界から出られなくなる(というか、バスチアン自身が出たくない)というものである。

          ファンタジーの世界に没入し、自分をその世界の中で違う個性として存在し、他のキャラクターたちを通して生きることは悪いことではないが、しかし、そこから出て、再び現実に帰ることにこそ、本当の勇気が必要であることが描かれている。

          ファンタジーの世界、神話、伝説、歴史…それらに自分を置き、会話し、冒険することは、過去の自分を浄化することを意味する。そして、浄化して帰ることで「明日から何もかもが変わる」のだ。

           

          「果てしない物語」のファンタージェンは、実在しないもの。

          神話や伝承、歴史の(たとえ史実と違うものであっても)英雄たちは、既に死んでいるもの。

          だが、彼らと「親友」になることで、我々は再び、現実社会に帰ることができる。

           

           

           

           

          だからこの映画を観終わった時に、奇妙な既視感を抱いた。

          制作者の意図は全く違うものかもしれない。

          映画評論家は、感動的なコメディと絶賛している。

          だが我輩としては、これこそ21世紀の形での、神話とそっくりではないかと感じた。

           

          主人公は死体と巡り合う。

          現実では、ただの死体で、何の役にも立たない。

          だが、あらゆる困難な状況に際して、助けてくれる(「道筋を作って」くれてるともいえるかもしれない)。

          死体がしゃべりはじめると、半分以上がシモネタであるがw…それでも、死と生の境界線はどんなにあいまいなことかを気付かせてくれる。

          主人公は日常の(現実の)世界から逃げ回ってた。

          だが、死体に対して、生きることの素晴らしさを伝えることで、日常の(現実の)何気ない世界から逃げず、素晴らしいと感じるようになる。

           

          この映画では、主人公は無二の親友となった死体と共に、神話の中を歩いたのだ。

          そして、現実の世界に戻った時、そこから主人公は多くの目撃者と共に、新しく生きようと歩みを始める。

           

           

           

          死者と親友になる時、生きることに深刻になってた自分があまりにも滑稽であることに、気づかせてくれる。

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          【備忘】台湾ファミマから日本ファミマ 店舗間配送サービス

          2017.09.22 Friday 11:36
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            JUGEMテーマ:台湾

             

            ファミマ、日台で店舗間配送サービス開始 まずは台湾発送・日本受取から

             

             

            ..........(゚∀゚)..........  (以下、転載)

             

             

             

             

            拝復 平素は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。


             さて、この度お送り頂きました、私どもファミリーマートの「国際コンビニ配送サービス」に関するお問合せを拝見いたしました。こちらは、台湾のファミリーマート店舗でお預かりした荷物を日本国内のファミリーマート店舗で受け取ることができるサービスです。ご利用手順としましては下記の通りです。

             


            <国際コンビニ配送サービス>
            ●ご利用の流れ
            ‖耋僖侫.潺蝓璽沺璽氾絞泙離泪襯船瓮妊ア端末「Famiポート」で、
             Eメールなど必要情報と、受け取りたい日本国内のファミリーマート
             店舗を入力し、レジで荷物と配送料金をお預けいただきます。


            登録したEメールに「店頭受取番号」「暗証番号」「店舗への荷物
             到着予定日」送信されます。(台湾から日本国内まで4〜6日程度)


            F本のファミリーマート店舗の「Famiポート」で「店頭受取番号」
             等を入力し、レジで荷物を受け取ります。

             また、弊社海外担当部署へ確認致しましたところ、現時点では上記
            サービスの日本語説明サイトのご用意はございませんが検討いたし
            おり、今後開設する予定でございます。

             なお、現地台湾のファミリーマートにございますFamiポートにて、
            日本語での画面表示を選択頂くことが可能でございます。
             以下に手順をご説明致しますのでご参考にして頂ければ幸いです。

            <国際コンビニ配送サービス>
            ●台湾ファミリーマートにあるFamiポートでの日本語選択方法
            (1)FamiポートTOP画面より『服務寄件』を選択
            (2)『海外店到店』を選択
            (3)『海外店到店寄件査詢』を選択
            (4)『日本店到店寄件』を選択
            (5)「中文・日本語」の選択画面が表示されるので、
              『日本語』の方を選択

             以上、お客様へのご返事とさせていただきます。

             最後に、お客様のますますのご健勝をお祈り申し上げ、書中にて
            ご挨拶させて頂きます。
                                       敬 具

            ******************************

             株式会社ファミリーマート お客様相談室

             

             

             

             

            とのこと。

             

             

            フォ━━ヽ(゚ω゚)ノ━━!!

             

             

             

            郵便EMSを活用したものだから、色々と制限があったり、送料は比較的高いけど、それでもこれはありがたいいいいい!!!

             

            ありがたい理由その1 : 郵便局まで出向く必要がない。台北の定宿から微妙に遠い…。

            ありがたい理由その2 : ファミマだから24時間依頼できる。帰国前日の深夜でもできるということになる。

            ありがたい理由その3 : (たぶん)インヴォイスを別途用意する必要がない(これ、結構めんどい)。

            ありがたい理由その4 : コンビニで箱が販売されてる(あれ?セブンイレブンだけだっけ?その場合、隣のセブイレで)。

            ありがたい理由その5 : 送料が足りなければ、店内のATMで引き出し(郵便局にもあるけど、設置場所が「?」)。

             

            EMSだから前述の通り、やや高いということと、意外のファミマの店舗が台湾では少ないというのがデメリットとしてあるが、それにしてもこんな素晴らしいサービス、もっと広まってほしいものであるよ。

            空港でパンフとかファミマ店舗で配布してくれたらいいのにな(成田空港にあるぞw)。

            帰りはコーヒー豆とかお茶とか、積み重なれば結構な重さになるんだよ。

             

             

             

            よし、来年2月!(今年は結局、行けそうにない…)

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            青稲の夢

            2017.09.17 Sunday 23:20
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              JUGEMテーマ:東北の旅

               

              前後して申し訳ない。

              1215年前、蝦夷と呼ばれる地域の酋長が反乱の末、今日処刑された。

              名はアテルイ。

              腹心のモレと共に、今の大阪のどこかで刑場の露と消えた。

              先月の東北旅行で、「続日本紀」等のわずかしか登場しないその人物について、少しばかり触れておきたいと奥州市埋蔵文化財調査センター等を回ったが、ピンと来るものが残念ながらなかった。

              個人的にその作風のゴテゴテ感故、好きになれない高橋克彦氏の「炎立つ」が、霞の中で慄然として立ち上がる怒れるアテルイの姿を面白おかしく登場させたことと、それが大河ドラマ化されたことで、この一帯の観光の目玉となり、漫画や演劇などで「中央に反抗する英雄」という姿を作り上げ、岩手県において時々見受けられる独特なルサンチマンを代弁する存在として成立していった。

               

              だから、売国奴汚沢を未だに持ち上げているのであろうか…ま、今回はその話ではない。

               

              史実では、朝廷軍との戦いは確かにあった。

              しかし前述の「続日本紀」、そして「日本紀略」では北上川での戦いだけが取り上げられ、15年後、唐突に降伏したとされてる。

              戦はその間、何もなかったのか?

              全く不明のままだ。

              アテルイは500人の部下と共に、坂上田村麻呂の下で剣を置いた。

              ゲリラ戦であれば、まだ十分に戦える数であったとも思える。

              だがそれ以上は続けることはしなかった。

               

              作家や漫画家などは、矢が尽いたからと、最後まで絶望的な戦いから逃れなかった英雄を夢想した。

              坂上田村麻呂がアテルイの助命を強く願ったのは、戦場で刃を交えた末から生まれた奇妙な友情からだと、安直な結論に結び付けたいと思うのはたやすい。

               

              オカルトなものとなると、アテルイは縄文の文化を守る最後の守護者だった。大和朝廷がもたらす弥生文化、稲作文化への抵抗を試みたというのもあったりするが、最近の研究でそれは完全な間違いだと判明されている。

              実際のところ、発掘された稲穂のDNAなどを調べると、アテルイが戦っていたとされる8〜9世紀には、東北全体で稲作が行われていた。稲作を否定し、森の恵みに感謝し、自由な狩りをしていたという縄文的なイメージは、ただ諏訪一帯だけが最後まで残っていたのが事実である。

               

              また多くの蝦夷が、地方に置かれた朝廷の国府に仕えていたという記録もある。

              朝廷文化を学び、朝廷に仕える役人としての教育を受け、実績を積み上げ、やがて同化するという自然の流れがあった。

              が、中には何かの理由で殺人を犯しを、逃亡してそのまま行方をくらますという事件もあった(おそらく、元の”生活”に戻っただけかもしれまい)。逆にそれが珍しい例であるからこそ、事件として記録されるわけであるとも思える。大きな反乱につながった殺人事件は今のところ判明されていない。

               

              経済的独立を失われることへの抵抗から、アテルイは戦った…これも眉唾だ。

              陸路ではなく、海路による交易網が発達し、太平洋側、日本海側共に、東北地方のあちらこちらに貿易の拠点があった。

              無論、今とは違う仕組みではあるが、経済的に鎖国することは不可能であった。昆布や毛皮、馬や羽毛は京において大人気の品であったし、京での鉄製品や織物は蝦夷の豪族にとってはステータスシンボルであった。取引を拒む理由はどこにもない。逆にアテルイが妨害などしたら、降伏する前に他の酋長達によって殺されるのがオチだ。

               

               

               

              前述のセンターでは、日本書紀(景行天皇27年2月27日条)の中で、東北地方調査を行った武内宿禰の上奏が発端だというビデオを流してた。

               

              東の夷の中に、日高見国有り。

              その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。

              是をすべて蝦夷という。

              土地沃壌えてひろし。撃ちて取りつべし。

               

              ここから、日本武尊の伝説が始まったのだが、その流れからアテルイは立ち上がった…というのは、どうにも解せない。

              景行天皇が仮に実在していたとしたら、4世紀から5世紀頃に、日本武尊の蝦夷討伐が始まったということになる。

              いきなり、大和朝廷の軍がやってきて、服従しろと命じたから、反乱を起こしたというのは無理すぎる。

              それに7世紀には既に、蝦夷が大和朝廷まで朝貢をしてた記録が「日本書紀」にあるし、国府に仕えてた蝦夷の豪族も多かった

              コミュニケーション不足?

              800年近くも交流してて、それが不足してたというのであれば、アテルイは現代風に言えば「コミュ障」になってしまう。降伏に際して、500名の部下がそれでもなお付き従ってたのであれば、ことは矛盾する。

              センターが「撃ちて取りつべし」をいきなり出したことには、何か悪意を感じさせてしまう。

               

               

               

              稲作は既に定着し、交易も栄え、大和朝廷との関係が着実に構築されていく中で、何がアテルイに剣を持たせたのだろうか。

              この一帯では、何かしらの大義を持たせようと懸命に想像を働かせて、英雄たらしめんと試みている。

              それは悪いことではない。

              以前日記に、「神話」を持たない民族、国家は滅ぼやすいと書いた記憶があるが、架空であれ、そこに「ここの人たちは、このように生きるべきだ」「困難なことに面した際、神話や伝承での英雄はこう動いた」という「知恵」が、どうしても必要なものである。

              そして皮肉だが、アテルイについて詳細な記録がない故に、たとえ反乱を20年近く続けていた理由が実に下らないことであったとしても、史実でのアテルイとは全く違う「アテルイ」が生まれ、愛されていることは、きわめて幸福なことなのだ。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              青い稲は蒼天へと連なり、アテルイの夢はこの地方の人たちの夢と繋がっている。

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              Remembrance

              2017.09.11 Monday 22:31
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                日本と日本人への一つのメッセージ

                2017.09.09 Saturday 19:52
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                  JUGEMテーマ:映画

                   

                  戦史において、撤退戦はその困難さから、誰も率先してやりたがるものではなく、時として悲惨そのものであるが、その一方で、参加する人たち一人一人の能力、辛抱、経験、そして何よりも「助けなければ」という精神が綺麗に組みあがることで、劇的な成功を収めることとなる。

                  日本であれば、キスカ撤退戦。

                  英国であれば、ダイナモ作戦。

                  あらゆる要素がうまく合致できたからこそ、「奇跡」だと称賛される。

                  もっともこの二つの撤退戦は、やや違う状況にあるわけだが。

                   

                  前者はこれ以上負けを酷いものにしないために、現場を知り尽くした軍人をトップに据えて、優秀な海軍兵によって成功した。

                  後者は負けではあるが、新たなる勝利をつかむために、国民全員が覚悟した上で、ある者は海に漕ぎ出し、ある者は空へと飛び立ち、多くは埠頭や駅で疲れた兵隊たちを暖かく迎えること、これらすべでを通して撤退が完了した。

                  戦争はなるほど、プロではなければできないものである。

                  しかしプロだけでは成しえない多くのこと…その最たるものは「慰め」「励まし」であり、民間でしかもはやできないことであるならば、それに「勇気」をもってこたえることが、彼らプロ、戦う人たちを支える「希望」になるのだ。

                   

                  そしてそれができる国民によって支えられている国は、どんなことに対しても「降伏はしない」のだ。

                   

                   

                   

                   

                  この映画を観に行った。

                   

                  311の時に、自衛隊、消防、警察が動員された。

                  来る911の時も、米全軍、州兵、警察、消防が必死に活動した。

                  彼らを応援し、感謝し、支援する多くの国民がいた。

                   

                  ダイナモ作戦におけるダンケルク撤退戦で、可能な限りの民間船が敵の進撃が直ぐそこの海岸線まで到達し救出した。

                  史実では、比較すると軍船よりは圧倒的に少ない数しか救出できなかったが、砲弾や敵爆撃機が飛び交う中で、丸腰のまま飛び込んでいったことへの勇気を考えよう。

                  負けたと思ってた兵士たちが、故国の地を再び踏んだが、そこにあったのは感謝、応援、そして英雄達が帰還したことへの限りない抱擁だった。疲れ切ったプロ達に、限りない賛辞を与えることの喜びを思い出そう。

                  映画の中で、目の見えない老人が帰還した兵隊たちに、毛布を懸命に渡すシーンがある。障碍者であっても、どんなことであれ何かをするということは、皆に大きな慰めになることを信じよう。

                  そしてその撤退戦の後、下院で時の首相チャーチルが行った演説…

                   

                   

                   

                  We shall go on to the end.

                  We shall fight in France,

                  we shall fight on the seas and oceans,

                  we shall fight with growing confidence and growing strength in the air,

                  we shall defend our island, whatever the cost may be.

                  We shall fight on the beaches,

                  we shall fight on the landing grounds,

                  we shall fight in the fields and in the streets,

                  we shall fight in the hills;

                   

                  we shall never surrender.

                   

                   

                   

                  そう、”we shall never surrender”...どんなことに対しても「降伏はしない」とはどういうことを意味するのか、この映画を日本と日本人は想起する時が間近になった。中学校英語では、shallはwillと同じ内容だと教わったかもしれないが、実際は大きく違う。

                  それは単なる未来形ではなく、確実な「予言」と同じ意味合いを持っている。

                   

                   

                  我らは最後まで戦うのだ。

                  我らは外国の地で戦うのだ。

                  我らはあらゆる海で戦うのだ。

                  日々大きくなる自信と力をもって空で戦うのだ。

                  我々はこの島を守る、どんな犠牲を払おうとも。

                  我々は海岸で戦うのだ、

                  水際でも戦うのだ。

                  野においても、街中においても、

                  丘においても戦うのだ。

                   

                  我々は決して降伏はしないのだ。

                   

                   

                   

                  一人一人がこの心構えを持つこと。我らは既に、311の時に経験し、乗り越えた。我々は決して降伏はしないのだ、と。

                   

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                  血の臭い無き浄土

                  2017.08.25 Friday 18:01
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                    JUGEMテーマ:東北の旅

                     

                    うかつだった。

                    噂には聞いてたが、金色堂までの参道がこれほど急な坂だったとは。

                    早朝の大雨で地面がややぬかるみ、買ったばかりの靴からややジメっとしてくる。

                     

                    それにしても、多くのお堂があって、一つ一つを巡りながら登るのが楽しい。

                    弁慶に関係するお堂。

                    眼病を癒すお堂は、参拝客で溢れてた。

                    逆に閑散としてたお堂には、不思議な風格があり、自然と合掌をしたくなる。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    やっと見えてきた。

                    金色堂。

                    マルコポーロが勘違いした、黄金の国ジパングのシンボル。

                    堂内は写真撮影一切禁止であるので、外観しか写真がない。

                     

                    空調が効いており、薄暗さとともに心地よい空気が流れている。

                    中では僧侶が一名、汗をダラダラ垂らしながら勤行をしているが、気温設定が違うのだろうか…ああ、あの袈裟では、暑いわなw

                     

                    史実やら小説やらで、かなりゴタマゼな知識が行ったり来たりしている。

                    奥州に独立した国家を作ろうとしたとか、いや単に京都以上に栄華ある都市を作ろうとしてたとか、財力をものを言わせて朝廷に対抗しようとしたとか、まあ色々あるだろう。

                    義経が亡命した時、遺言通りに大将とし、鎌倉に対抗したのであれば、歴史は果たしてどうなってたのかという空想ロマンも悪いものではない…よく、「歴史にIFを求めるな」という言葉が聞かれるが、学術からすれば是であろう。しかし、ファンタジーを求める人に対して、これほどの暴言はないし、我輩個人、どんな人にあっても備わっている想像力、イマジネーションを否定する暴言であり、怒りしかわいてこない。

                    これを悪用している人間は、人生を豊かにする力を否定するサイコパスだと考えている。最近、それについて、確信に変わった出来事があってな…まあ、それは別の話。

                     

                     

                     

                    それにしても、見事なまでの、黄金の光。

                    浄土もかくや、か。

                    奥州藤原滅亡後、頼朝は破壊することなく、統治もこの地の人々に委ねた。

                    遠いから?

                    それが一番の理由であろう。

                     

                    ただふと思ったのは、浄土を浄土のまま、そってしておきたかったのではないかと、そんな感じがする。

                     

                     

                     

                    長い歴史を持つ京都は、しかしながら歴史を知ると、あまりにも血なまぐさい場所であることがわかる。

                    百数十年前まで、河原のあちらこちらに、暗殺された人の頭が放り置かれてたくらいだ。

                    我輩自身、実は京都が日本の中で、嫌いな街だ。

                    市営バスの運転手の糞っぷりはさることながら、どうにも歩くと、背筋に嫌な感触があり、落ち着いて歩けられるような感じがしない。

                    ガイドブックにもない、小さな曲がり角に立っていると、ぞわぞわする何かを感じてしまうのが京都なのだ。

                    住人の慇懃無礼さにも、観光を楽しませてくれない。

                    あるのは、街全体が、何かに怯えてる空気…それが京都なのだ。

                    その理解できない怯えを、客である我輩に押し付けてくるな。

                    浄土に憧れる寺院を多数建てたところで、外に出れば霧散してしまい、しらけてしまう。

                     

                    新しい都としての鎌倉は、血だらけの手で築かれた場所だ。

                    わずかなことでも、法の前に武が問われる。諸法度を発布したところで、離れれば力がすべての解決手段となる。

                    どうあっても、地獄行き。

                    天台宗において、そんな修羅から救い出す浄土の思想が示され始めたが、法然がまだ世にない時代、多くの上人に頼り、恐怖から逃れるしかなかった。

                    鎌倉を新しい武士の中心地にした。

                    しかし、そこは血によって築かれた所でしかなかった。

                     

                     

                     

                    「吾妻鏡」によると奥州藤原を滅ぼした後、この地域で頼朝がまず目撃したのが、灰燼に帰した平泉であった。

                    中宮寺、毛越寺など仏閣を参拝し、残された奥州仏教に深く感銘したという。

                    そして御家人に治安を一任する一方、国務については亡き藤原のままにと命じて、鎌倉へ帰ったという。

                     

                    やろうと思えば、すべてを焼き尽くすことはできた。

                    義経への憎しみからすれば、庇った奥州藤原への報復を考えれば、それくらいたやすくできた。

                    平泉は焼き払われて、その続きとしてなら、可能であった。

                    だが、頼朝はしなかった。

                     

                     

                     

                    血の臭いが一切しない現世の浄土を、ここで初めて知ったからではないか…そう思えてならない。

                     

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                    毛越寺という「絵」

                    2017.08.25 Friday 15:28
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                      JUGEMテーマ:東北の旅

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      キャンペーン価格で、いつもより2割ほど安くレンタカー。

                      我輩の前後に、これまたサラリーマンが借りる手続きをしてた。

                      なんで我輩の世代って、こうも店の人に対して無礼な言動をするんだろうなあ…。

                      ま、それはともかく、右ハンドルだ(台湾でのレンタカー話は、同人誌をお読みくださいw)。

                      オートマだ(愛車の「雪風」はマニュアル。だから安く買えたんだけどね)。

                      ハンドルのところにあるボタンとかで、カーナビ操作ができる純正もの…ブルジョワな(チガ)。

                       

                      近くの市場に併設されている喫茶店で食事を…と思ったが、泊まったホテルの朝食が予想より量が多かったので、そのまま毛越寺。

                      この一関って街、結構一方通行が多く、カーナビの通りに走ったらグネグネとまあ…おかしなルートばかり走らせやがって。

                      でも無事に到着。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      ほお…何とも落ち着いた雰囲気でいいね。

                      確かに、1989年に再建…新しさが感じられるのは仕方ないか。

                      でもここは、建物ではなく、こちらが有名だったっけ…

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      ふおおおお!

                       

                      これはすごい…。

                      江戸時代は廃寺一歩手前の状況で、周囲は田んぼになってたが、発掘調査などから奥州藤原の栄華が証明され、その功績の一つがこの「大泉が池」…写真や映像では伝えられない。

                      伝えることができると言う人間を、我輩は信用することができない。

                      ここに立たなければ、それほど大きいはずでもないが、雄大さを錯覚するその不思議な構造に、感動を抑えられることはできない。

                       

                      周囲を歩く。

                      どこに立っても、そこには「絵」が存在するのだ。

                      礎石しかない廃寺跡も、そこから見える池の光景も、「絵」が浮かび上がるように設計されていることに驚いた。

                      感動して、ここでは多くの写真を撮った。

                      しかしそれらを多く残したとしても、不可解なことにその感じられた「絵」が再現できないのだ。

                      PCモニターに一枚一枚表示しても、毛越寺、大泉が池、そしてそれら全体の風景の中に感じられたものが浮かび上がってこない。

                       

                      ここは写真や映像に頼る場所ではなかったのだ。

                      ごくたまに、国内でも海外でも、また場所に限らずたとえば芸術作品でも、そういう現象を強く個人に突き出してくる場所やコンテンツが存在する。

                      ここもそうなのだ。

                      浄土のイメージを体験できる場所として、奥州藤原氏の精魂が、たとえ復元されたものであったとしても感じられる。

                      今でいえば、VRエンタテインメントのようなものか。

                      それにしても、この清浄さはなんと心地よいものだろうか。

                      風は涼しく、快晴。

                      早朝までの嵐が嘘のようだ。

                      地面から上がってくるほのかな湿気が、「絵」の中に土の香りを含ませてくれる。

                       

                       

                       

                      雪降る季節にも、来てみたいものだ。

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